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「令和」の時代は『NOと言えるか日本人』の時代。その2

こんにちわ、結構他の方と被らないように内容を選んで記事を書いてるzaidrituです。

今日の「タイトルで終わっている記事」なのですが、

この記事のサブタイトルは「何処でYESといい何処でNOと言うべきか」にしておこうかなと。

 

「令和の時代は日本人が自分の意思で、「YES/NO」を正しく判断し主張出来るか」の時代。

という事でありますが、

実際「NOとどうしても言えない環境、人」というものは存在します。

そこに「不動産案件」「職場対人関係」が絡めば、やはり生活を存続させる為に、やむを得ずNOを言えない状況を肯定し続けざるを得ないことだって多々あるでしょう。

しかし、そこで立ち止まってこう考えてみてください。

「『この状況が続く』『小さな歴史』というだけで、私がYES、NOと言う、判断するかどうかはあまり影響・関係はないんじゃないかな??」

そう思えると気が楽になります。

「世の中には『絶対に完璧に』『すべき』事は実はあまり存在していない」

確かに親の教育や、上司の忠告など、過去私達の模範となった先輩方に学ぶべきことは多々ありましたが、

「現在の自分、未来の時代を生きる新しい自分にとって『正解』に成り得るかどうかはまた、別の話だ」

こう考えることも。

犯罪や悪友、また仕事でのミスなど、そういった人に迷惑をかける事案の範囲外であれば、

「自分を維持し尊厳を守っていく、自己愛を定着させ続ける」ために

『自己判断』『今考えて、今これが正しいと思う』を優先させても良いのではないか、と私はそう考えます。平成の30年ではなかなか、こんな単純なことが実行難しかったんですけどね;

おっと、思ったより長めで、心理的な内容になっちゃった。

ご拝読、どうもありがとうございました。