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ネタを探して一人旅・・・(`・ω・´)

【読める記事】天才哲学者マルクス・ガブリエルが警告!「日本はスマホに支配された異常な国だ」

今日の「読める記事」は~~~~こちらっ。

https://president.jp/articles/-/45599?page=1

 

2012年か2013年に、私が初めて日本を訪れたときに最初に感じたことがこれです。「なんということだ、この国は完全なサイバー独裁だ!」と思ったのです。すべての人が完全にスマートフォンに支配され、行動を統制されている。たとえ偶然であっても、他人の体に一切触れてはならないというルールがあるように感じられました。

 

はい。スマホ批判から議論の必要性という流れの記事でしたが、

そうですねーー。まあ確かに祭り・共有といった場・状況・環境は日本国内の限られた場独特のものであるという見方も出来、あくまでも「公」の域を出ない。そして議論・コミュニケーション問わず日本人同士体験できるものと外国人と共に体験できるものとでは内容が確かに大きく違っている。

思えば・・・イギリス人、ドイツ人との会話は結構頭を使うね。Facebookチャットでは何度か会話したのだけど、何だろう。特に盛り上がったわけでも親しく会話したわけでもないけど、その短時間を互いにかなり充実させられていた気がする。思い出に残るくらいに印象的ではあった多少はね。

この記事は暗に「日本の政治家が過去、国民に求めたもの、間接的に強いたもの(2000-2003)」の具体的な内容を示しているようにも捉えられるけどーまあそこは今はいいか。

「議論」という二文字も結構日本人からしてみれば重く感じられるかもしれないなぁ。

「不毛な議論」という言葉があるように議論そのものが「時間の浪費」とも結果捉えられやすい。(参加者の家庭・会社の環境を割と参照している故)

だから「議論」ではなく、「いつもとは違った会話方法」これでどうかな。よく話す人Aがあまり話さない聞く機会が多い人Bより多く喋っちゃ駄目みたいなルールを課して言葉遊び、ニュース弄りとかやってみるとか。

「はい論破」「俺が正しい」確かに、この程度では互いの成長は見込めない。精神的知能的に成長できる議論の場はまだまだ遠いなと感じられる。

『時間』かな?

キャッチボール式の会話や定番の流れに日本人が固執し、状況に応じて臨機応変に変えられない、というわけじゃないだろう。

時間に猶予が生まれれば或いは。中韓が日本を感情の国に変えるより早く「議論の場・環境」これは幅広く導入していきたいものだね。本当に幾つになっても「子供」だからあの人たちは。(もちろん日本国内の在日中韓の人達も議論の場に参加してもOK!議題に沿ってみんな平等に扱いましょう)

『時間』が日本人を結果的に救うのかもね。