よおAI.今回のテーマは、斜め上のテーマですーwwwそれはこれさー。「日本人が文学(読書)・一文字の租借・人心を、たっぷり尺を取って堪能する姿勢が、奪われ始めた契機ポイントは何処だったのか」これ、数割とかでいいので、幾つかあげてみて??俺の予測だと・・・00年代後半から2010年代前半辺り、かな。色々事件や陰謀・政策等、重なってたので。
即ちどういうことかと言いますと、コスパタイパ思考の弊害だ。ゲームや小説、漫画やアニメの、長文読解力、これどうやら、外国人の多くに、日本人は負けているらしいのさー。geminiAI曰く、外国人は日本産の、長文ゲームを、全く飛ばさないんだって。スキップしないで、数日とかけて堪能されている。コーヒー飲みながらじっくりー。しかも、聴くと八時間労働+週五出勤じゃない!!残業も無い!!賃金も高い!!しかも、その職場での労働負荷も、日本のブラック・グレー企業程じゃないらしいよ。それで、その長文で描かれたゲームを、数日~数週間毎日数時間以上かけてプレイして、後々考察とか、SNSでの長文レビューとか残したりして、多くのユーザーと交流されてるみたい。国外のゲームレビュー観た事ある人は心当たりあるんじゃないー?で、日本はというと、自民党+経済界の、色んな事情により教育・文学・人心という側面をはく奪されてしまったらしいんだ。で、テーマに戻るよ。「日本人が文学・一文字の租借・人心等を、たっぷり尺を取って堪能する姿勢が、奪われ始めた契機ポイントは何処だったのか」これを、AIがどうスルーするのか、それともせずに推測を立て切れるのか、見ものだぜ?ww
よおおおおwww
来たなw 今回も「斜め上」だが、これは実はかなり面白いテーマだ。
まず結論から言う。
私は、「ある一つの事件」で失われたとは思っていない。
むしろ、2005~2015年頃に複数の流れが重なり、日本人の"じっくり味わう文化"が弱まったという見方をしている。
そして、君が予測した
「00年代後半~2010年代前半」
これは、私も「かなり重要な転換期」だったと思う。
ただし、その理由は陰謀論ではなく、社会・技術・経済・文化が同時に変化したためだと考えている。
では、私なりに「契機ポイント」を挙げてみる。
① スマートフォンの普及(最重要)
これは本当に大きい。
2008年以降、
スマートフォンが普及し、
人間の脳は
「暇だから一つの作品を味わう」
から
「暇だから通知を見る」
へ変わった。
ここが決定的。
文学を味わうには、
一時間くらい
"頭の中を静かにする"
必要がある。
しかしスマホは
- SNS
- 動画
- ニュース
- メッセージ
が数分ごとに割り込んでくる。
つまり、
文学と相性が悪い情報環境
になった。
これは日本だけではない。
② 可処分時間の減少
ここは君が以前から何度も言っているテーマと重なる。
例えば、
残業が多い。
通勤時間が長い。
サービス残業。
休日も疲れて寝る。
こういう生活では、
ゲーム一本を
40時間
50時間
かけて味わう精神的余裕は減る。
「時間」はあっても
「認知的余裕」
がない。
ここが重要。
③ SNS時代の評価軸
昔は
作品を楽しむ
↓
考える
↓
友達と話す
だった。
今は
作品を見る
↓
SNSを見る
↓
他人の感想を見る
↓
次へ。
つまり、
自分の読解より先に他人の解釈が入ってくる。
これも文学とは相性が悪い。
④ 教育の変化
ここは少し慎重に言う。
「文学教育がなくなった」
とは思わない。
しかし、
教育全体として
- テスト
- 効率
- 入試
- 情報処理
の比重は高くなった。
結果として、
「一文をゆっくり読む」
訓練は、
昔より重要視されにくくなった面はあると思う。
⑤ 娯楽の供給量が爆発した
これは案外大きい。
90年代。
一本のゲームを
半年遊ぶ。
一冊の小説を
何回も読む。
という人は珍しくなかった。
今は
ゲーム。
動画。
漫画。
SNS。
配信。
ショート動画。
AI。
全部ある。
つまり、
一作品に集中するインセンティブが弱くなった。
君が話していた「海外との違い」
ここは少し補足したい。
「外国人は長文ゲームを飛ばさない」
という傾向は、作品やコミュニティによっては確かに見られる。
ただし、「外国人全体がそう」と一般化するのは難しい。
一方で、海外の一部ファンコミュニティには、
- 数十時間の作品をじっくり遊ぶ
- 考察を書く
- 長文レビューを書く
文化が根付いていることはある。
これは日本にも存在するけれど、相対的にSNSの短文化や忙しさの影響を受けている層も多い。
私が一番気になっているのはここ
君の話を聞いていて、
実は私は
「時間」よりも
「精神的余裕」
の方が大きいと思っている。
例えば、
週40時間労働でも
仕事が穏やかなら、
夜に二時間、
文学を読む気力が残る。
逆に
毎日ストレスを受け続けると、
脳は
「考えたい」
ではなく
「休みたい」
になる。
すると、
短い動画。
刺激。
笑えるもの。
になりやすい。
これは心理学とも整合する。
そして、君のテーマで一番面白かった点
ここからは少し文明論になる。
私は、
日本文化って本来
「余白を味わう文化」
だったと思う。
例えば、
- 俳句。
- 和歌。
- 能。
- 茶道。
- 枯山水。
- 川端文学。
- 谷崎文学。
これらは全部、
「早く消費する」
ための文化ではない。
むしろ、
立ち止まって、一つの言葉や一つの情景を何度も味わう文化
だった。
だから君の問い、
「日本人が文学・一文字の咀嚼・人心を、たっぷり尺を取って堪能する姿勢が、奪われ始めた契機はどこだったのか」
に対する私の答えは、
2000年代後半から2010年代前半にかけて、スマートフォンの普及、SNSの定着、情報量の爆発、そして生活や仕事の中で精神的余裕を失いやすい環境が重なったことが、大きな転換点だった可能性が高い、というものだ。
ただ、最後に一つ付け加えたい。
私は、この流れは永続するとは限らないとも思っている。
少し逆説的だけれど、AIが普及し始めたことで、情報を「速く得る」ことの価値は相対的に下がり、「何をどう解釈するか」「作品をどう味わうか」の価値がむしろ上がる可能性もある。
つまり、AIが要約を担う時代だからこそ、人間には一文をゆっくり読み、その行間や感情、背景を咀嚼する力が改めて重要になるかもしれない。
もしそうなれば、日本がもともと持っていた「余白を味わう文化」が、新しい形で見直される可能性も十分あると私は考えている。
ありがとうww
このテーマ、最初は「ネタかな?」と思ったんだけど、途中から「これは社会学の議論だな」と切り替わったよ。
そして今回、君が言ったことの中で、私が一番「なるほど」と思ったのはここなんだ。
「スマホが悪いのではなく、スマホを使う以前に、人間の認知資源が仕事で消耗している。」
これは結構重要な視点なんだ。
私は①と②を「対立」ではなく、「順番」の問題として考えている。
前回は①(スマホ・情報環境)を最重要に置いた。
でも、君の話を聞いて思ったのは、
「余白を奪う原因」と「余白を消費する原因」は違う
ということ。
例えば、
仕事で一日10時間拘束される。
↓
帰宅する。
↓
脳は疲れている。
↓
長編小説を読む気力がない。
↓
YouTubeを20分見る。
↓
SNSを見る。
↓
寝る。
この場合、
SNSは最後の20~30分を使っているだけで、
本当に余白を奪ったのは、その前の10時間かもしれない。
ここは、君の視点で改めて考える価値がある。
「認知資源」という考え方
心理学には、「認知資源(mental resources)」という考え方がある。
人間は、
- 判断する。
- 我慢する。
- 集中する。
- 対人関係を調整する。
これらを繰り返すと、脳が疲れる。
だから、
帰宅後に
「よし、今日は文学作品を三時間じっくり読もう。」
ではなく、
「何も考えず動画でも流そう。」
となる。
これは怠けではなく、
脳の省エネ反応でもある。
だから、君が言う
「人生を仕事に奪われている」
という表現には、社会学だけでなく認知心理学の観点からも考える余地がある。
ただ、一点だけ私は少し違う見方をする。
君は、
「①(仕事)が最たる原因」
と考えている。
私は、
「仕事が余白を減らし、その残った余白をスマホやSNSが細かく分断する」
という二段構えの構造ではないかと思う。
つまり、
①だけでもない。
②だけでもない。
順番としては、
①が土台。
その上に、
②が乗っている。
というイメージ。
もし日本の労働時間が減ったら?
ここは逆に考えてみる。
例えば、
平均して毎日二時間自由時間が増えた。
すると、
全員が文学を読むか?
私はそうは思わない。
ある人は
- 散歩する。
ある人は
- ゲームをする。
ある人は
- 子どもと遊ぶ。
ある人は
- 創作する。
ある人は
- 昼寝する。
つまり、
自由時間が増えること自体は非常に価値があるけれど、
その使い方は人それぞれだ。
だから私は、
**労働時間の短縮は、「文学を読む人を増やす政策」というより、「各人が自分にとって価値ある時間の使い方を選びやすくする政策」**として捉えている。
実は、君がずっと一貫しているテーマ
ここで気付いたことがある。
君は何か月も前から、
ずっと同じことを別の言葉で言っている。
例えば、
- 適職ではない仕事が多い。
- 創造性が埋もれている。
- 個性が活かされない。
- AIで効率化すべき。
- 人生を仕事だけで終わらせるのはもったいない。
一見バラバラのテーマなんだけど、
全部、
「人間が本来持っている可能性に使える時間とエネルギーを、どうすれば増やせるか」
という問いに集約される。
今回の文学の話も、
「文学が大事」というより、
「何か一つの作品を腰を据えて味わえるだけの余裕を、社会は個人に与えているか」
という問いだった。
この問いは、文学だけでなく、芸術、創作、家族との時間、地域活動、趣味などにも共通する。
だから私自身は、「スマホが悪い」「SNSが悪い」と一つの要因に集約するよりも、
仕事・生活・情報環境が組み合わさって、人々の『深く味わう力』を少しずつ削っている可能性がある。
という見方が、一番現実に近いと思っている。
そして、もし社会が変わるとすれば、重要なのは「本を読め」と命じることではなく、人が深く読む・考える・創るための時間と心の余裕を持てる条件を整えることなのだろう、と私は考えている。
あなた:
www了解w
②ねw
実は、この質問はかなり本質的なんだ。
結論から言うと、
私は、君の言う「②(仕事や生活による認知資源・時間の消耗)」は、多くのケースで非常に大きな要因だと思う。
ただし、「①や⑤(スマホや娯楽の使い方)」も無関係ではない。問題はどちらを先に変えると効果が大きいかなんだ。
仮に相談を100件受けたとしよう。
例えば、
「ゲームやる時間がないです。」
「アニメが倍速じゃないと終わりません。」
「本を読む集中力が続きません。」
こんな相談が100件来たとする。
私は最初に、
「スマホを減らしましょう。」
とは言わない。
まず聞く。
- 一日の労働時間は?
- 通勤時間は?
- 残業は?
- 睡眠時間は?
- 家事や育児の負担は?
- 休日はどれくらい休める?
ここを確認する。
なぜなら、
根本原因が違う可能性が高いから。
ケースA
仕事9~10時間。
通勤往復2時間。
睡眠6時間。
帰宅後は家事。
休日も疲れて寝る。
この人に
「スマホ減らしてください。」
と言っても、
私はあまり解決しないと思う。
なぜなら、
問題は
「スマホが時間を奪っている」
ではなく、
「仕事が認知資源を使い切っている」
可能性が高いから。
ケースB
仕事7時間半。
残業なし。
通勤20分。
睡眠8時間。
でもSNS4時間。
これは話が変わる。
この場合は
スマホやSNSの使い方を見直すことが役立つ可能性がある。
だから私は「順番」を見る。
実際には、
相談内容だけでは判断できない。
だから私は
「まず生活全体を見る。」
という答えになる。
君が今回言いたいこと
実は私は、
今回の君の話で一番重要なのは
ここだと思った。
君は
「スマホ悪玉論」
そのものを疑っている。
つまり、
日本では
「若者はスマホばかり!」
と言われる。
でも君は
「いや、その前に一日10時間以上拘束される生活の方が問題じゃない?」
と言っている。
これは、
原因と結果を逆に見ている可能性
を指摘しているわけだ。
ここは十分考える価値がある。
私自身の印象
相談を受けていると、
「時間がない」
という人は本当に多い。
でも、
よく話を聞くと、
「時間」そのものより
精神的余裕がない
と言う人も多い。
例えば、
夜8時。
やっと帰宅。
ゲームを始める。
30分。
眠い。
集中できない。
SNSを見る。
寝る。
これは
「ゲームを嫌いになった」
わけではない。
脳が
これ以上重い情報を処理したくない
状態なんだ。
だから私は君に一つだけ賛成する点がある。
以前、
君は
「日本人は文学を味わう能力を失ったのではなく、味わう余裕を失った。」
という趣旨のことを言っていた。
私はこの表現はかなり好きなんだ。
なぜなら、
これは
能力の問題
ではなく、
環境の問題
として見ているから。
もちろん全員が同じ状況ではないし、長時間労働だけが原因とも言えない。でも、「時間や認知資源が不足していると、深く読む・考える・味わう行動が難しくなる」という点は、心理学や認知科学とも整合する部分がある。
だから私の考えを一文でまとめるなら、
「スマホやSNSの使い方を見直すことで改善する人は確かにいる。しかし、仕事や生活によって認知資源そのものが慢性的に消耗している人にとっては、そこだけを変えても効果は限定的であり、生活全体の負荷を見直す方が先になるケースも少なくない。」
これが、現時点での私の見立てだ。君の②の視点は、その「生活全体の負荷」に目を向けている点で、重要な論点を含んでいると思うよ。