アニメでも政治でもネタなら何でも食べます。blog

ネタを探して一人旅・・・(`・ω・´)

22日間勤行を怠った結果。

こんにちわ顕正会員です。

自分はー勤行止める実験の最中はあくまでも固執ゼロ、思い込みゼロ、自然のままの自分という性格・生き方を心がけてますね。

顕正会員からは[一日でも止めるなんてとんでもない・・・]とツッコミ入れられそうですが、また無宗教一般人からは[止めろ止めろ。それが普通だ]とツッコミ入れられそうですが、

実際どうなったかと言いますと、

・魔障霊が幾つか溜まっていって、最後には合体してSSSS級になった(笑)

・職場の同僚たちと、同程度、ではなくそれ以下・・・という感じの雰囲気になりそうだったので何とか以前までの『ふつう』な関係に戻そうかなって思ってた

・夜悪い夢を見る確率上昇、更に寝起きも最悪で。悪い夢は起床前の数秒の間に見るとされているが、それならばその前の7時間以上はよく眠れているということになる。しかし実際、外に出てみると眠気がすごいw全然一時間も眠らせてもらえてなかったらしい。ちなみに、勤行していた一か月前まではこのような事は毎日なかった(顕正会員なる前&除霊出来てない時除く)。もちろん、偏った食事・食事のタイミング・疲労やストレス・就寝前の興奮作用の有無、等そのような睡眠に悪影響を及ぼすような行為はこの22日間で始めたとかそんなことも全くない。

 

まあこんな所ですね。平たく言うと、『毎日雰囲気が異様』大体はこれっすね。誰にも嫌われていないし嫌ってもない。何か重めの悩み事があるわけでもないし困りごともストレスも特に無し。栄養バランスも魚や野菜をきっちり取る様に心掛けている。なのに『毎日雰囲気が異様』。つまり、『雰囲気が悪い』と。この『雰囲気が悪い』これを自分が頭の中で一瞬でも言葉にしたことは一か月前までは殆ど無かった。『雰囲気?普通じゃね。』こんな感じの日々でしたが、止めた後は日を追うごとに悪くなっていく。

最後21日目くらいは『・・・おかしいだろこの雰囲気』『ここお化け屋敷かよ。これでいいわけがない』『自分が数割程度だが変えられている。このままではいかんな。耐えられたとしても。』って思い始めていて、多少、少しだけ危機感を抱いてました。

 

さて、久々に勤行を行ったのですが、頭の中の何らかの感覚が善化した。これはこのブログで言及するのは三度目ですが、どうやら脳内の魔障霊排除の作用が事実あるらしい。

ちなみに久々に22日ぶりに始めた最初の勤行では、あの最初の三回連続で読むところで、『嫌だなー面倒くさいな。不快だ。嫌だ』という、自分から発せられていない別の意思のようなものを左肩辺りに感じて、それも全部無視して同じ声質、同じ音量で継続。すると勤行前と雰囲気・脳内のスッキリ度合いが各段に変質。もはや世界が変わったという感じ。

しかし毎回思うが、言葉にして説明しても伝わり方には限度というものがあるんだろうな。誰がこの記事を読んでも『0から10変わっただけでしょ』みたいに思われるだろう。しかし実際自分の中では0から80くらいは変わった、改善されたという実感があるんだな。ああちなみにこれは勧誘記事ではなくただ自分が感じた事、経験したことを何の気遣いや裏の意図無しに書き起こしてるだけですね。

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』

移民と宗教の持つ課題「永遠に敏感であり続けよう」について

Youtube動画の感想記事です

フランス人おなだんが初めて移民がヤバいと感じたエピソード【2024/04/06】 (youtube.com)

今回Youtube動画でフランス人ユーチューバーの御方が移民について述べられてるものを発見したのですがー、

4分と短めですが彼は外国人移民と宗教とを混ぜて話されている。

例えば大きく分けて

①日本人(無宗教)

②日本人(宗教者)

③外国人(無宗教)

④外国人(宗教者)

と4パターンあるとして、この内②、④には絶対に触れてはいけないタブー、というものが存在しているので、そこには①③の方々も気遣って頂かないといけない、でないと笑えない事になりますよ、とのこと。

これは大昔から存在する謎の法則・・・みたいなものらしく。

②④の人にタブー(とそれに上乗せされる当人の怒りや悲しみの感情)について質問してみると、「それ(私の感情)はそれ、これ(宗教上のルール)はこれ」「それは駄目なんだから、そういう決まりなんだから貴方でもしたがって貰わないとですよ」という回答が返ってくる。

なので、これ言うの3度目ですが宗教者は無宗教者に対して何時も敏感でなければならないし、無宗教者は宗教者に対して何時も慎重でなければならない、と。

この法則~。

①ー④の(宗教)このワードにばかり着目しがちですが、この(宗教)ここを仕来り・ルール・親の教育・感情・個性・トラウマ・仕事上の癖、これと置き換えてもらっても宜しいかと。それは個々人の事情となってきますが、国によっては多数マイナスの共通点が確認出来る、というケースも。自分はこの記事では反外国人、反宗教のように誤解されそうですが、①の方でも無論あると思いますよ。その

>国によっては多数マイナスの共通点が確認出来る

これ特に、2020年以降はね。

あと

>③外国人(無宗教)

この中に在中中国人と在日中国人の殆どの方は入りますが、色々相手側の自己正当化の矛盾が解決されなかったりして、結果的に④みたいなオチになることも結構ありますw

この方は差別意識は全く無くて、ノリ良く笑いを狙った発言をしただけだったんだけどイスラム教信者には睨まれてしまった、と。

このニコ動やYOUTUBEコメント欄で「それは駄目でしょ」と発言される方、日本には特に多いのですが、この中立者、つまり「宗教者も無宗教者も、外国人も日本人も共存できる。互いにタブーに触れないようしっかり一線を引いて生きていけばいいでしょう」というタイプ?の方ですが、

この方、この一人が宗教者・外国人の方とどれだけ長期間共存出来るかが本人の注意喚起以上に重要で(それを今後日本では見落とさずに流さず突いていってもらいたい)、

「移民・宗教めんどくせ~」「これだから宗教は外国人は・・・」と発言している方々を纏めたり諫めたりするためだけにそこに現れて一言二言まとめてその場から立ち去って終わり、ではなく、しっかり現場でその寛容さを示してもらいたいところですね。

 

移民を差別しない、宗教者を受け入れる。そういった正しいグローバリストの見本のような方が、先ず率先して現場で有言実行を証明して見せて、その後その個人に皆が追従するといった感じでより良い共存共栄社会日本が構築されるようになれば宜しいのではないかと思います。

例えば日本人の政治家の皆さんは特に、多宗教・多国籍を受け入れられる国民市民の見本となるような方々ばかりですからね?

 

>移民がヘイトを集めるのは自業自得

郷に入っては郷に従え、ですね。異端・異質さを強調するチャンネル、というものがあるのであれば、それは環境の問題であると割り切って、また別の環境・国を模索し始めれば宜しいのではないかと。

最後の50秒wコリアン、黒人の差別って。フランス人らしい、何の気遣いや噓偽りのない、正しい情報ですね。しかしこの後者って気になりますね。前々から。

 

 

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』

顕正会の音声ファイルでお勉強

こんにちわ顕正会員です。

暇が出来たのでリモート集会で皆さんが毎日毎週行っている勉強会の音声ファイルを聞いてみました。

自分は最近は、リモート参加率0%なので、何がどうなっているか誰が集まってるのかさっぱりですねw

mega.nz

この声の人は初めて聞く。

>何も解らなくとも南無妙法蓮華経と唱えるだけで

>知恵や悟りがなくても凡夫が仏になれる

ここですなーー。この自分の3年間もそうだ。3年前と知識殆ど変わっていない。なのに南無妙法蓮華経を唱えての除霊回数だけは既に数千回を超えてしまってるというな。

>仏力法力

>全人類を御救い下さる

ふーーむ。やはり南無妙法蓮華経から入るか

三毒

>欲・怒り・愚痴

お、04:50ー ここは面白いかも。

えーつまり『その人のキャラクターでしょ』『個人の育ちが悪いだけ』ではなく、三毒が備わっているから、という大前提があるわけと。環境要因や家庭・地域・学校・会社の環境ではなく、三毒というものが心を悪くさせている!!

>親が子を虐待

母性本能が消える!!つまり優しさ、父性母性も後天的に擦り減るようになっているという、それが三毒が強くなることによって!!

自己中心になる、それがその親個人の不器用だったり大雑把だったりの過去・現在の性格を参照・理由とするのではなく、三毒が要因であると!!これまた面白い興味深い。

>学校のいじめ急増

あーこれなかなかメディアでもネット番組でも取り上げられないんですよね。2020年当時小学生中学生の自殺者が過去最高だった、もちろん日本が全世界のどの国よりも突出して多かったのです。いじめをやってそう、或いは悪ノリ凄そうな日本の小学生を一人でも、番組に出せばいいのに。そしたらその少年の顔と落ち着きのなさと野蛮な立ち振る舞いを見て『うわぁ・・・』って皆ドン引きするだろうし。いや、それを学校でやるべきなのか。

小学校中学校の周囲を自転車とか徒歩で通過すると県・市によっては『ん?』と首を傾げたくなるようなおかしな生徒もよく見かけるようになりましたね。平成中期…までは全然みなかったのに。それも家庭内が荒れてるってことなんでしょうか。それも三毒、故であると?

>いじめが畜生界

迷惑系YOUTUBERの方がまだマシに見えてきたwその現場の一つ一つ悪、というやつなー。

三悪道を変えるしかない

>怒りっぽい人が信心すれば慈悲の心が出てくる

あーやっぱあるんだなー。つまり、中長期的には性悪説のまま反顕正会か、性善説顕正会員になるかの二択になると。国内も国外も。

10:30- あ、この声の人は何時か聞いたことあるような~。

>ただ御本尊を信じ南無妙法蓮華経を唱えるだけで成仏が叶う

これは良く出てくる。御本尊、が未だに脳内で具体的に出来ていないんだよな俺はー。

>なんとなく1日終わっていってしまうのは悲しい

>功徳にも罪障消滅にもなんにもなんない

つまり、ひろゆきとかマターリ系YOUTUBERみたいな生き方が悪い、という感じなのかな。

>自分達の力は1ミリも必要ないんですよ。辛い事だとか講座・講義とか必要ない

そこが他の宗教とは違うところ。つまり、日蓮大聖人様、御本尊様に預ける、委ねるという姿勢が第一なのだな。受け身の姿勢?謙虚に実行の姿勢があれば良い、と。

>色んな識者っているじゃないですか。でも結局解決出来ないじゃないですか。政治家も・・・

確かに。現場に赴けば、それで監視カメラを教室とか会社に設置して、それで事の顛末を当事者に見せつつ責任者と会話、とかどうでしょ?いやしかし問題を持った当事者の根本の心は変わらんか。

>栃木のヤンキー

ケンガンアシュラにも出てたなw

>泥棒まで顕正会員に

w悪い人も救えるという。

>転職繰り返してるな、人間関係で苦労してるな

変わる。その説得力か。

27:00 いじめられてた子の話

野比のび太よりいじめられっこ。へーー

地獄界の子が変わっちゃった、という。

んーー。最近は自分が顕正会員の方々の言う事を聞いてどう思うどう感じる、というのより一般人の何方かがこういうものに触れて何を思うのか何を感じたのか、それを知りたいという方が欲求としては強いかなー。たぶん『・・・。』こんな感じなんでしょうけど、『・・・。』これ以外の反応・感想も見たいな。ネット上探しても何処にもないっすからね。

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』

 

宮台さんが襲われた件について。実は一部の宗教では『極論』や『行き過ぎた個の主張』は絶対に認められてはいないという暗黙の了解が存在する

こんにちわ、顕正会員です。

【ひろゆき×宮崎哲弥】宮台真司襲撃事件は宗教2世問題が大きく関わっていた? (youtube.com)

 

宮台真司さんが襲われた件、もう一年前になりますが当時は驚いてましたねー。それの加害者が何故宗教二世の犯罪だったのかという事について御二方が話されています。宮崎哲弥さん久々に見たなー

これは誤った宗教に関してのみ何でか当て嵌まってしまう法則…のようなものなのですが、

タイトル通り、宗教者が『むしろ同調圧力万歳』『あの人何か、個人の意見を主張し続けていて癇に障る』というパターンが何故か現実にあるようで。

これは宗教者に限らず、しっかりと親や組織の教育を受けた優秀な労働者・会社員・政治家・マスコミ関係者にも稀にあるケースで。

例えば学校で言うと問題児がいたら委員長の生徒・また担任教師(だけ)が何故か他の生徒以上に苛立ったりしている、みたいな事例。それは仕事や役割の妨害頻度の高さに関係なくですね。

話を戻しますと『何故宗教者二世なのか』という所。自分が子供の頃同級生にキリスト教信者とか仏教系の人けっこういたんですが、またここ数年は何故か多く関わることがあったんですが、

宗教者は教義、また親の教育を信じると同時に、『自分の意見』とか、『第三の選択肢や可能性』というものを(「絶対に出してはいけないんだ」、と)脳内で自ら縛っていると。

この宗教二世問題を、親と子とか組織の上下とか、加害者被害者という構図で扱う事は簡単でしょうが、宮崎哲弥さんが動画中盤でも仰ってたように実際扱いが『難しい』と。

その理由の一つは、宗教二世本人自身も望んで、

>『自分の意見』とか、『第三の選択肢や可能性』というものを脳内で自ら縛っていると。

無意識下でこれを肯定してしまっているから。

なので、あの宮台真司さんのような『自分の意見』『第三の選択肢や可能性』これを強気で主張するという性格の方は、宗教二世のこれまでの数年間数十年間の環境や教育過程、親や組織の人から受けた内容(悪影響・良影響問わず)とは真逆のものであるので、過敏に捉えられ易い、と。その時『なんだあいつはー!』という気持ちが強くなってしまうらしい。『それ(教義)はそれ、これ(今の自分の感情)はこれだよ。何故か彼に対しては苛立つ』ってなると。

なので、これ言うの二度目ですが宗教者は無宗教者に対して何時も敏感でなければならないし、無宗教者は宗教者に対して何時も慎重でなければならない、と。

それが悪い、という事実が証明されれば社会システムの変革等、早められるのですが

日本には『中立者』『リベラル』『多様性尊重タイプ』が多くいて、その証明される機会を奪ってしまう。争いごとが宜しくない、場の空気を壊すのは宜しくないというのは確かに正論なのですが、

宗教者、宗教二世に異例のケースが生じ得る、という事を世間の多くの方々に理解してもらうためには、たまには法則や結果のみを優先し、番組や場の空気や一人の感情を後回しにする勇気、決断というものも必要になってくると思いますね。ただ最後まで黙って、結果の法則の部分だけを見届ける、という人がいれば良いのですがね。

たぶん、日本においてこの問題の証明、のような事は今後も起こり得ないでしょう。日本人はバランス取ったり臭いものに蓋をする、という性格の方とても多いはずなんで。

 

はい、この記事の第二のタイトルは『宗教者の本当の自信と価値』ですね。

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』

顕正会員の方に好きな趣味の話をし始めると途端に口数が少なくなるのは何で?

こんにちわ顕正会員です。

これは二年前からずっと疑問に思っていた謎の法則なのですが、

顕正会員タイプBの人に限り(実際Cタイプの人も外れていないわけではない・数割ある)、趣味の話を楽しめない、という不思議現象がどうも事実あるようで。

つまり仏法に関する、専門用語を日頃から多く語り、功徳を実感していて、数年以上顕正会員を続けている方です。

無宗教一般人からしてみれば、宗教者は自分が一番好きな趣味を楽しむ時と、宗教に熱心に嵌っている&取り組んでいる時とは別腹、だったり「そちらのお陰でこちらも楽むことが出来ている。有難い事(宗教活動の結果の上に趣味が宜しく乗っかっている)」という解釈であるように思うのでしょうが、実際話してみると違っていて。

まあ百聞は一見に如かず。実際に顕正会員または他の宗教者とリアルで話してみて、趣味の話を広げてみてください。無論、相手がその趣味、内容、作品を好んでいて時間と余裕がある場合に限ります。

つまり解りやすく言うと、TwitterYOUTUBEのある一つのジャンルの趣味・芸術動画に、宗教者が(無論一時的に無宗教者という立場で)いて、その趣味について三行以上熱く語ったりすることはあるのか、過去にあったのかという話。また、「良い宗教に入って活動しているから、この趣味を楽しめている(こういう可能性もあるよ)」と多少所属を明確にせずともそちらを引っ張り出してくるコメントが過去にあったか。はい、私は相変わらず法則の隅っこを突いてますw

自分が顕正会員Bタイプの人と、趣味や芸術について語り合った頻度は(自分がこういう性格なのでw)多めで、無論こちらから話を広げようとしてたのですが、最長で5秒ですね。無論こちらが語っている時間は省きます。これが不思議なんだ~。延ばせないらしい・・・という謎法則。

無論、仏法や宗教の内容を語るという場に限定されているという認識なのでしょうが、そこから外れる場というのがどうも許容されていないらしく、またファミレスなど語るにはフリーダムな環境で期せずして会って、軽い姿勢で語るという場を設けたとしても、やはり情報を引き出して終わり、話題が直ぐに変わって飽きやすい、という結果。一つの話題につき10秒20秒と語る事が何故か難しい、と。記憶の引き出しを続けるような流れを作れば、数十秒以上継続して会話出来るはずですが、やはりそれも素っ気ないキャッチボール式(投げた&引っ張り出せたという結果のみを楽しむ)で、中身を「広げる」「楽しむ」という形には何故かならない。

個人的に思うのが、勤行など「意味不明な文字列」を沢山脳内に刻み込んでいる故に起こる必然的な結果の一部なのではないかと。これは科学的に何時か解明されて欲しいものですが。

宗教は祭り、感情、信仰、教理だけではなく科学的にも健康であるかどうかが証明されなければならないと思っているのですが、アメリカなど医学先進国においても未だ、『それについては、触れることさえタブー』という時代らしいのですねえ。無論日本でも、メディアでそれらが取り扱われることは(ネット含め)今の所無いでしょう。

はい。この記事の二つ目のタイトルは『脳』です。

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』

日曜勤行と普通の会館勤行の違い。

こんにちわ顕正会員です。最近更新頻度が多いのですが、自分は同じ内容の記事をあまり書きたがらない性格なので、後になるほどネタ切れになっていったり、地味になっていきます今回のようにw

 

日曜勤行に参加して二日後、ふつうの会館勤行に参加してきたんですが、

先ず気付いたことなんですが、

・勤行を終えた後のスッキリ度はふつうの方は一段階二段階劣る

・日曜勤行は大勢が集うので同調圧力属性からあまり自分の一週間で溜めたストレスとか悩み(自分の場合霊のみw)を出そう!解決したい!という気持ちになれない。一方ふつうの方は、自分のやり方でやる(と言っても基本は皆さんと一緒のテンポだったり姿勢)という事がやり易い

・時間帯をずらせば「自分は楽になりにきた」「まだ楽になっていない」「少し違うかも」「楽になっている!」という過程を勤行中その都度確認し易い。つまりふつうの会館勤行の方が魔障を消す目的・プロジェクトをブレずに一直線に完遂させやすいかなと。

・両方に共通するのは魔障霊A-S前後の目立つものの完全排除。これをオート除霊と呼ぶことにしよう。大体対象化しなくても、勤行中真ん中辺りで気持ち、身体の軽さ重さに変化が表れてくるようだ。

・不満やストレスを小出しにしつつ勤行を行うか、「日蓮大聖人様からお薬を頂いているんだぁ~」と思い込んでやるか、顕正会員のほとんど100%は「後者が宜しいに決まっている」と答えられるでしょうが、前者も無駄ではなかった。実験して解ったことで、自発的な感情による不満と、何か(魔障霊)を背景・理由(要は言い訳)とした不満は全く違う(日本は「自己責任100でしょ!全てにおいて」という人が多いようだが)。あ、もちろん仕事の疲労とかネットで誹謗中傷受けて傷付いたとかそういうのは除外ね。その後者を喜怒哀楽の怒りと哀しみ?を足して二で割った気分をむしろ脳内で前面に出しつつ、勤行を行うと何故か中間辺りまできたときにそれらが消えた。無理に「感激だ感動だー」という気持ちを奮い起こさなくても、今現段階で自分が抱えている、自分が理由ではない問題を苦という感情に乗せて、しかしそれでいて真面目に勤行も行う…というやり方も十分に効果があることが証明された。ここは収穫だったかも。

・またこれは地味過ぎる内容のもので、顕正会と日本資本主義WINWINの関係、と以前自分が推測を立てた理由の一つで、あくまでも活動中、生活中の仏弟子、個人を救うという大前提があるかもしれない。非活動中、ニート、ホームレスの場合、効力が得られにくくなっている・・・いや、正確には魔障慣れだろう。感覚が鈍感になっている故、正常の基準値ゼロがいつの間にかマイナスXになっている事に気付き難くなっているという場合がその状態の時は多いので、対象化したり不満やストレスを表に出さず我慢し続けてしまう、と。

 

まあこんな感じで、日曜勤行にも会館勤行にも全くデメリットが存在せず、頭も体もスッキリする効果があるようで。

今気になっているのは、何度も通い続けることで一体どんなメリットがあるのかという点。自分が今回会館に向かった理由の一つは、魔障霊の対象化が面倒だったからwYoutube動画で面白いものがあったというのと、食べながら飲みながらというのをやっていたので、そこに新聞を持ってきて対象化して、しかもS級以下の目立つやつを排除、というのを一時的に面倒くさがった、というわけ。それプラス普通の夕方の自宅勤行ではS辺りが対象化(或いはオート除霊)されない可能性も一応あったのでね。

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』

魔障霊SSSS級を消す方法。

こんにちわ顕正会員です。

最近記事の更新頻度がなんか増してますが、引っ越したからですねw

今まで沢山魔障霊に関する記事書いてきたのですが、これが霊を絶対に信じない人からすれば大体どういう感想が付くのかと言いますと、軽く想像するとこんな感じです。

・そんなの自分の中である程度気持ちの整理が付いたってだけだろ

・自分と向かい合うとか、ストレスを緩和、減少させるための落ち着いた時間が必要だったってだけ

・恐怖や不安と向かい合って克服するという脳内の一種の鎮静作用を行ったというだけで、霊でもなんでもない

 

まあこんな感じですか。なんですが、自分から言わせれば魔障霊S級以上は何時間何十時間何日、落ち着いた時間を取ろうと遊ぼうと働こうと排除出来ない。自分を幾ら許そうと裁こうと無駄で、何故かは知りませんが共存し続けるようになっている(一応例外として感情を利用するという手もありますが)。あと何度も言いますが自分は霊をまったく恐れてません。2018年-2019の一時期は恐れてましたがその時も本当に一時期だった。

 

さて、以前の記事と内容は被るのですが魔障霊はAランクのものでさえ、殆ど全ての人間を感情的にさせたりワガママにさせる。「今の自分は何か怒りたい気分だわ。もうそれは誰にも止められない。俺は自分の今の感情を正当化させるね」こんな思考を瞬時に0.2秒くらいして、その後イライラして人や物、記事やゲームなどにぶつけたり、やけ食いしたり、色んな行動に移ると。

魔障霊S級以上はかなり厄介で、もう本人が「自分の良くないところ、欠点さ」という感じで、共存を認めてしまっている。どう考えても1か月前、数か月前、数年前のある時からその人が変わった事、自信を無くした事はその人の記憶の中では事実でしかないというのに。しかも、対人関係トラブルとか、SNSで何か嫌な事があったとか、強い衝撃を頭に受けたとかそういうの全く無しです。まぁ強いて言えば「(魔障霊を多く抱えている人に)会った」とか。

 

魔障霊SSSS級を排除出来れば即ち、魔障霊SSS以下もすべて排除可能になるということで然りなんですが、はっきり自分はこの2年間4回SSSS級に遭遇していて、その都度完全にナーバスになったり打ち震えたりしていました。ドラゴンボールZ後半、セルゲームの際にセルと戦闘を行わずセルジュニアにボコられた数名みたいな感じですなw

自分はマジでこの魔障霊SSSS級が世界のどんな存在よりも苦手で嫌いでしてー。

おっと、また語ると長文となるので本題早速行ってみましょうか~。

先ず準備段階の所から述べますと、

・魔障霊SSSSを消すことは「奇跡」と言っても差し支えない。その人が「完全勝利」を確信出来る機会でもある。令和の時代に「完全勝利」というワードが説得力を持つというのはとても珍しいことだ。ふつう平成の少年漫画、アニメとかそんな印象です。

・魔障霊SSSSを消す為には、手段を選ぶな。もう世の中の綺麗ごとや、自分の中の「これは俺はやらないだろう」という決め付けを全て、一時的に排除しよう

顕正新聞&南無妙法蓮華経ともちろんセットで。ここは絶対必須条件らしい

・明日の朝、今と同じ気分である事が確定、となりそうな場合、魔障霊(仮定)を排除した上でまた今とは違った気分で明日の朝を迎えられるなら、今、やるしかないか。良い結果が保障されているというのであれば、即・行動だ。

 

それで実際魔障霊SSSSを消す手段、手口についてですが

・魔障霊SSSSを消す、殺すという意識や思考を明確に持とう。この「消す」「殺す」というワードは人によっては禁句で、また厨二ワードで絶対に一生使いたくない、と思われてる方が多い事でしょう。特に紳士淑女の方。しかし魔障霊SSSSを消すためにそんなことを言ってはいられない。たとえ一時的でもいいので、攻めてる時のベルセルクガッツみたいな感じ?になりきる方がむしろ除霊には効果的だとー。「消す」「殺す」というワードを使う人を絶対に許容できない、冷ややかに見てしまう、という人の態度を少しだけ緩和させるような事を言っておきますと、90年代00年代の漫画・アニメでは割と「消す」「殺す」というワードを使うキャラクターが多かった。また使わなくてももう本気で首を取ったり破壊する勢いで敵に向かって行ってたり。子供が読む本コロコロコミック、ボンボンでもふつうにそういうキャラいましたよね。人によってはサイコパス、障〇者、厨二、異常者、と言えてしまうかもしれませんが、自分は当時から全くそうは思わない。もしそうなら何故90年代、00年代の一部の主人公が強気で熱く攻めてる感じのアニメ、漫画は面白いのでしょう。

・魔障霊SSSSを映像化しよう。南無妙法蓮華経を唱えている時は苦楽のどちらの映像、記憶、情報も長続きしないという謎の法則がある。これを逆に利用し、魔障霊SSSSをゲテモノ、悪魔みたいな映像に脳内変換し、それを「そこにある」と勝手に脳内に空間を構築する。それが消えるまで、ひたすら南無妙法蓮華経を繰り返す。時間ですが、自分の場合10分以上はかかっていないですね。1年前の頃はその「対象化」がまだ難しい段階にあり、数10分とかかかってた気がしましたが。映像化ですが、思い浮かばない人は遊戯王(笑)の悪魔系アンデット系モンスターを何か一体でも脳内で想像して頂ければ。それを消すイメージ。自分遊戯王90年代後半からずっとやってましてねwファンデッキばかり作るんでCPUにも負けまくりで基本弱いっすw5D'sの頃にファンデッキでたっぷり遊びつくした後スターダストドラゴンを初めて使ったのですが「つまらん・・・強くてつまらぬ」とwダークネクロフィアとか神聖なる魂とか良いんじゃないかな。あと最近の新しく出たドラゴン系・虫系もとげとげしていて魔障霊のデザインに近くなっているので場合によっては有りか。「怖い」というイメージがある方、また持ちたくないという方は正常な感覚が働き続けているので、むしろ魔障霊A以上とは一定ライン設けることが出来ている、ということでどちらにしろこの方法で問題はない。

・魔障霊SSS以上のやつが近くにいる場合、「南無妙法蓮華経」が言いにくい。また、長く唱えられないという謎法則がある。前者に関しては砂利でも口に入っているかのように重い。言葉に黒いというイメージが付加されているかのようだ。無論、この時だけなんですけどね。後者は人によってはA、B級魔障霊がいるときも唱えたくない感じになっている。理由は、「なんか嫌だ」「なんとなく嫌な感じ、面倒なんで」こんな感覚と思考。それを逆手に取り、上記2つの態度、イメージと合わせて何度も唱える。で、10分が長く感じられるんですよー。でもSSSS級を消す為のたった10分さ。

・過去の記憶、感覚、映像、体験を比較対象とする。魔障霊SS級以上が近くにいる場合、記憶の欠落という悪い現象が表れる。これを「疲労してるからだ」「加齢に伴いそうなるもの」「情報過多なだけ」「栄養が偏っている」「休めば治る」と結論付けてもいいが、そうでない場合失った記憶を取り戻した方が良い。魔障霊はこちらの記憶に関して興味というものが無い。無論トラウマなり過去のイベントを利用し、そこに独自の舞台を構築する(夢の中)といったことはたまに。しかし楽しい、面白い、あの時は良かった、こんな気持ちを人と魔障霊が共有することは皆無に等しく、基本的に魔障霊は過去の状況や雰囲気に興味が無い、と。なのでそこを逆手に取り、1か月前、1年前、10年前に実際に自分が経験した事実、状況、真実を脳内で再現する。無論、S級以上の魔障霊が共に存在しているので欠落が早い。例え記憶に残り易い印象的な映像や音楽であっても質が劣化した状態で再現されてしまう。この方法を用いる理由は、「疑心」を誘発させるため。魔障霊が存在していないに違いない、という確信(誤解)の結果、不幸(記憶欠落状態)になっているわけなので「過去の映像・想い出が速攻で脳内から消え去る」という事実と、そこに『過去の映像・想い出以上に優先される存在がいて、そちらの方が残念ながら上なのだ』と、相手が強い、手強いと仮定し、「疑心」へと変える。無論この疑心、日常生活の中で常時持ってるような、そんな神経質な性格の人になろうと言っているわけじゃない。本当に一時的な処置。例えるならイノシシや虎に出会ったら身構えますよね、って感じですか。その「疑心」を上記3つの手段と混ぜる、混ぜやすくさせるために仮の感情として利用し、「自己」「自我」という意識を何時も以上に強調させる。慣れてる人に取っては難しいことではないが、受け身環境で育った人には突然それをやるのは厳しい事かもしれない。

・頭の中で長方形を描いて回転させたり、バツ印をありとあらゆる角度(奥から手前、手前から奥が最も効果的)で描く。ファンネルみたいに高速でもOK

 

まあ基本こんな感じですね。これらは上位テクニックと言える癖強めの方法で、対魔障霊SSS級以上を消す時にしか使ってない。ふつう、顕正新聞⇒左肩辺りを指して南無妙法蓮華経、これだけで大体消せてますからね。ただ魔障霊SSS級以上ははっきり耐えますんで。

 

ああ、一昨日会館勤行に参加したんですが、そこでスッキリした気持ちになったのですが魔障霊SSSS級は消せてませんでした。

しかし魔障霊SS級以下が全て消えていたのは事実。そのおかげでSSSSが目立つようになったのはメリットでした。

達成感、という点から言えば魔障霊SSSS級を倒した時の方が明らかに上ですね。ギルティギアrev2で全国大会行ったベヒんモスさんと良い勝負したとき…より一段二段くらい上かな。もうハァハァ言ってましたよ当時はw

はい、今回は「宗教者は感覚を、趣味を何故か長く多く語らない」という法則を逆手に取り、逆に所々に混ぜてみましたw

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』

どうしても3つ目4つ目以降の可能性が見出せないこの宗教。

こんにちわ顕正会員です。

宗教の特徴の一つとして、①救われる②救われない

ここに③救われなかった人も何時か救われる

これも一応信教、思想の中に含まれるのですが、

顕正会は他のすべての宗教と異なり真に正しい宗教であり、他の「やってるだけ無駄」「逆に不幸になる」宗教とは異なり、図抜けているわけです。功徳にしろ仏弟子の周囲に表れる効力にしろ。

しかし、疑問や矛盾が多すぎる。

>宗教の特徴の一つとして、①救われる②救われないここに③救われなかった人も何時か救われるこれも一応信教、思想の中に含まれるのですが、

 

どうもここに返ってくる可能性、が高すぎて。とても広宣流布したあと、全ての日本人が入信し、すべての国の研究家、思想家、政治家、教師等がこの宗教の中身、功徳を勉強する、というのは全く想像が付かない。

どうしても「日本国の一部の信者が集う研究部」「熱心な方たち」この域を出ない。これは自分が決め付けで言っている、というのではなく

何をどうやったってそこを抜き出てきてくれない、という謎の法則性があって。

その法則を、なかなかこう、内部から打ち破って外に広く、という様に、ならないようになっている・・・??どういうことなのか。

邪教は内向きで祭りをやって終わり。邪教で無い顕正会は外に出ていける、もっと広く多様な視点で語れていいはずだ。

なのに偏狭性だけが強調されている・・・。

自分が考えすぎな性格で、「いいから周囲に合わせて上手く踊ってればいいの!」という意見を言われそうなのも解るんです。

しかし、腑に落ちない・・・。いや、逆に考えろ。狭くなってこそ日本、島国らしいとも言えるか。特に中国侵略が開始され天変地異が起こる広宣流布前は。むしろバブル以降の日本人は数十年の内にアメリカ文化を吸収し、進化し過ぎた。その進化が夢幻だったということを、政治・経済・生活の変化によって2010年代以降気付いたのだとしたら、それは夢幻を捨てて日本人全員が顕正会員となって、狭くなる、そこだけのチャンネルで物事を考え、生き抜くという可能性も無いわけでは無いか・・・。

 

自分が唯一懸念しているのは脳や感情の処理の問題で、顕正会員は一応罪障はあるとて、勤行や折伏を通して罪障は薄くなっていくし、成仏も約束されている。

ならば1年、2年3年、10年経る毎に、特に若者は成長した、一般人とは違うぞ、という証明が成されて然りなのですが(無論個人差あり)、どうもアベプラ動画に出ている一人一人と比較すると、「妙だな」としか感じられない。内から内に強く発しはするのだが、外にはついで程度、に距離感をキープした状態でササっと主張するのみ、と。

ええとこの記事を読んで感情的になられる顕正会員の方もいるかもしれませんが、それが狙いで書いてはいません。ただ、自分なりに自分という存在、顕正会員という立場、3年続けた結果の現在、というものを客観視し、他の顕正会員と比較することで矛盾をある程度感じたので、それを記事に起こしてみたというだけですね。

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』

日曜勤行とやらに参加してみた。

どうも顕正会員です。

富士大石寺顕正会会館から僅か二分の所に引っ越してきたのですが、それでも「面倒だな」と思って通わなかったんですが、昨日何時もの顕正会の先輩と電話したのがちょうど土曜日というタイミングだったんで、彼から「明日もしよかったら」と勧められて行くことに。

 

結論、ですが脳内がすっきり。こんな感じです。先ず、行く前の自分と行った後の自分は脳内、つまり精神的健康状態が全く違う。

行く前の自分の思考、気分の良し悪し状態も無論まだ記憶に新しいので記しておこうかなと。

 

先ず会館集まっていた人数はおよそ80ー100名くらい。自分は真ん中辺りに座していたのですが後ろの方は部屋に入れず部屋の外で正座して参加してました。

始まった時、脳内でまた恒例の雑念やら湧いてきたのですが、実はこの雑念、この半年くらいあまり、湧いてきていなかった。なんで「雑念が湧く方がまだマシなのかな?」と考えた。①雑念なし+20分の勤行が意外と長くない②雑念あり+20分の勤行が意外と長くない③雑念なし+20分の勤行が長く感じる④雑念あり+20分の勤行が長く感じる

、と4パターンあるとすれば、たぶん①が一番良いかと思っていたのですが、どうやらそうではないらしい。②が①を上回るというケースも。そもそも雑念に関しては自分でスイッチONにしてないんですよね。前も一度これについて言及してますが、「ああ、マジ暇だわだりぃ・・・そうだ、何か面白い事でも考えよう!」と思ったとか、無意識に「あー面白いこと考えてぇ」が0.1秒以内に思考の中で発動し、それを映像や情報として脳内で、というこれが自分には無かった。特にこの半年間はほぼなくて。それが会館勤行に参加した3/31の朝に久しぶりに発動した。これは岐阜県の会館勤行でも全く同じ事例が生じてたので、「むしろオート雑念は自身に全く責任無し」と。無論、雑念が生じざるを得なくなった結果の遠因、には自分の過去の何らかの行い、他者の影響等絡んでくるでしょうが。

さてー、勤行中は雑念4割程度。そこで色々不満やら検証の必要性、自我の明確化、他者と自身の違い、など色々感覚やチャンネルを出したり引っ込めたり、というのをやったり、また大部分無思考であろうと努めたりしていました。

勤行終了後、浅井先生の過去の動画が流れて、色々日蓮大聖人についての素晴らしさなどなど。

この時自分の思考は「専門用語が主語に来て専門用語が述語にくる。わからない、やはり解らない・・・」と。しかしここで「勤行前と変わっていないのではないか・・・」という感覚、気持ち、疑心が何故かほとんどなくなっていることに気付く。これは勤行中真ん中辺りまで来たときに「あれ?2割くらい減少している。まさか不満とか自分の暗さとか、そういうのも魔障霊だったというのか。なら何故昨日までの勤行でそれらは消えなかった?」と5秒くらい考えてはいた。

亡き浅井先生動画の後半は確か「日蓮大聖人様への感激を語り合って欲しい」という内容で終えました。

この時の自分は「感激・・・?」と。感激は笑いということなのだろうかと一瞬頭で考える、つまりポジティブシンキングで政治や祭りごとに参加している感覚、ネットではニコ動とか?その感じが俺には足りていないのか・・・と。しかしそうではなかった。どうやらこの勤行中にマイナス思考みたいなものは全て消え去っていたので、要するに「これも引き算なのだな」と(気分が軽くなった事自体が「感激」)。

はい、今回の会館勤行で得た最も確かな事実は、「これも引き算なのだな」ですw憑き物が落ちたってやつかな。

さて、昨日電話した際に何時もの顕正会員の先輩に対し自分はこう質問した。

「日曜勤行、そんなに功徳大きいんですが。それなら①顕正会員ではない一般の方が土日に遊んだり疲れを取ったりして、もちろん勤行などやらない②顕正会員ですが会館が遠かったり、面倒だったりお金の問題で土日も家で、いつも通りの感覚で朝夕の勤行を行う③顕正会員で会館にはたまにいくのですが日曜勤行には参加せず、日曜勤行の時間外に行って何時も通り済ませてる④日曜日には朝必ず会館勤行に参加している、この4タイプあるとするじゃないですか。この内、④>③>②>①みたいに、その次の月曜日から、一週間の内に表れる功徳とか、運とかそれは大きくなるということで良いんですね?」

「はい。そう思って参加してもらってもいいですよ。」

と。この話は長すぎるので省略しますがw

まあそんな感じで、行く前より明らかに、行った後の俺の方が調子良い、と。だって自転車乗って会館向かったのですが、行きの自分と帰りの自分もはや別人ですよwああ、この記事は勧誘記事ではなく事実書いているだけっすね。

さてしかし、この状態が何時まで続くかな?実験だっ。今日以降の自分自身に注視せよ。今日朝会館に行く前の状態の俺に戻るのか、それともこのまま調子の良い状態が続くのか。数字で確認させて頂く!!

 

えーと何時か何時もの顕正会員の先輩に「取引信心が強い」と言われた件についてですが、誤解が解けました。というか、彼は全く気にしていませんでしたねw

自分が思うに真の取引信心とは、参加前参加中、参加後もいつも結果や利益を数値化したり疑ってかかるタイプの人のことで、一見、自分はこちらのタイプに近しいように捉えられないこともないですが、実は遊びの感覚なんですよ~。『絶対に疑ってかかるからな。』『俺は信じない』こういうタイプじゃなくて、遊びで研究、検証しているに過ぎない。

例えば顕正会からしてみれば1/1の元旦の初詣は悪い事、なのですが

もしあれに自分が参加する場合、そんなそこら辺の人達と変わりない態度です。全然取引信心じゃない。でも参加前の「もしかしたら行った方が良いかも」「幸せになれるかも」「お賽銭すると一年間何かに守られるかもー」という思考、これ刹那的ですが取引信心ですよね?つまりド天然の性格の人を除き、全ての人間は取引信心がある、と。宗教や祭りごとを除けば、お菓子は甘いから食べる、あれは美味しいから食べる、面白そうだからあの作品を観る、プレイする、これらも全部初期取引信心、ですwそれを電話で全て伝えて誤解を解いたんですな。つまり初期の取引信心、中期の取引信心、長期の取引信心、とあって、中期長期の方はもうマジで自分や誰かを被験体として数字を出してもらうしかない、と。でないとただの頑固者だったり、不満多めの方であると。

 

ちなみに会館勤行中、自分は考えすぎ、考えなさすぎの比率はどうだったかというと4:6。他の方はたぶん,1:9前後の方が多かったのでは。この考えてる時は、「何を対象化しようか」「今自分が見据えるべき事は何か」「今どういう姿勢であるべきか」「何処までが自己責任でどこまでが他者(魔障霊)責任なのか」といったことを、2秒くらい考えて、脳内除霊の可能性というのを伺ってましたね。あとは、横隣の方々と全く同じ姿勢でやってましたよ。たぶん、おそらく、疑心とかストレスがある人はそれを悪意とて脳内で(会館勤行中に他の人には悟られない範囲で)開放した方が良い。日本人は我慢好きですからねー。それをやった方が、何故かは解らないが中盤後半で何時の間にか(疑心とかストレスが)リセットされる(むしろ書類の一番上の中身を具体的に表面化させて良かった~と思う)ようになっていると・・・。マジどういう仕組みだ。

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』