こんにちわ。顕正会員です。
まさか自分が、折伏の記事を書く日が来るとは・・・・。
折伏は・・・今まで2年半、殆ど無視、スルーしていたんで、自分にとってはもはや確率0%、の有り得ない選択肢だったんですが、昨日機会に恵まれまして、ある対象者一人を立ててしっかりー行いました。
『折伏と勤行は車の両輪』『順縁も逆縁も関係ない。結果表れる功徳は同じ』『自殺しようとしている人がいたら止めますよね?それと同じで相手の命を救えるというのに救わないというのは、見殺しにするようなもの』『宿命転換には先ず折伏』『自らの宿縁、十界の環境を変えるには折伏しかない。折伏しないと一進一退で何度環境を変えても同じことが繰り返されます』『先ず知り合いから順に訪ねて行って・・・』という話を色んな顕正会員の方々から聞いていたもので、自分もチャンスがあれば・・・とは思ってはいたね。
けど、実際仕事で忙しくて折伏の機会なんて無いし、職場では宗教勧誘は即注意対象or解雇の可能性もあるし、それに新聞渡すだけじゃ折伏に含まれないらしいのでさりげなく読んでる所を同僚や上司に見せて興味を持たせ・・・って事も出来んしと。
更に自分が保守的というか、相手の都合を考えすぎる性格なので尚更、折伏の機会は遠ざかり・・・と。あと、このブログを二回以上読んだ方はお解りになるように、口下手なんでね私はwなかなか、段階を追って説明するという基本的な事が下手くそな性格だ。
でもここんところ、浅井先生や他の部長クラスの方々が『順縁も逆縁も関係ないんですね。』ってなことを言われてたんで、
「あ、当たりもハズレも無くて100点でも0点でもないんだ。気にしなくていいのか。つまり行動に移せば全ては折伏功徳に繋がる、と」と思うようになってからはまあ、折伏実践に対しては、あまに気負わず気が楽にはなっていた。
で、一週間ほど前、GWに突入するということもあり、折伏を軽い気持ちでやってみようかと。もちろん、何時もの先輩に電話して、抑える所は抑えてから、とー。で対象者と時間と場所の打ち合わせをして、その会った時何を話すかのテーマとか話の主語の部分を軽く、短文でメモ帳に書いて少し、念入りに準備みたいなものはしてましたー。話題が途切れたりしないように、また相手に沈黙させないように。スマホでささっと見ては話題切りだせるようにね。
結果は、やはり逆縁。しかし相手は最後まで感情的になることはなかった、そういうタイプだったんで折伏し易かったとも言える。やっぱね、顕正会員歴数か月~数年の人が折伏しない理由は勇気が無いとか多忙とか人間関係面倒臭いとか、一般人相手に顕正会の話したくないとか、そういうのもあるんでしょうが、「相手の反応が解り切っている」これが実は、上位ではないでしょうか。で自分はそれ強めだったんで消極的だったんですねえ一昨日まではね。「勤行と折伏で車の両輪??片輪だけでも走れるだろ。そもそも折伏された当時は第三者に勧誘して、折伏しよう、なんて勧められさえしなかったっての。」と思っていた。
さて、折伏を実践した後なんで早めに纏めておこうと思いますが、折伏実践前に抜けていた視点、事実をここで反省という形で述べておこうかなと思います。
・日蓮大聖人の仏法が正しい、日蓮大聖人様こそ、という話はけっこうし難い。最後の方に持ってきても「へーー・・・・」で沈黙したり話題が途切れたりするので「で?」となり易い。まあそこで続けて日蓮大聖人強調、の路線でもいいけど、その次の相手の反応が・・・・wまた逆に最初の方に持ってきても、別の話題で速攻無かったことにされる可能性が高い。財の功徳、魔障除去の話、などこれらは一回くらいなら出来る。一回だけwもちろん一時間二時間話すようであれば最初の方と最後の方で二回話しても良い。
・確かに折伏前から「相手の反応が解り切っている」これは事実。相手の事を知っているからこそ、一時間二時間話しても最後は纏まらなかったり拒否されたり、他の話題に流れたり。
・何故「相手の反応が解り切っている」と思って折伏に対する決意や真新しい印象を実践前に持てないのか。それは↑の理由ともう一つ。相手が何かしら酔いに浸っているから。この酔いの状態はその人がお酒とか宗教とかやってなくて、普通の仕事人であっても誰でもある。それはその人が数十年の内に構築した独自のリズム、平成30年の間の確かなリアリティ、生活事情、その人だけの世界、捉え方など経験として脳に積まれてるから。それを敢えて「今だけ否定してみて」「広げてみて」と一時的にでも遠回しに言って、そこで日蓮大聖人、顕正会のチャンネルの視点を相手に一考させる・・・というのは難しいというか。殆どの人が自分というチャンネルを有していて、それを疑ってさえいないのだから。これは反仏法ではなく、「酔い」と表現してる。無論、俺自身も酔いゼロかというとそんなこと全く無く、例えばこのブログでこのような長文を書いていい、という一種の酔い肯定状態に24時間ほとんど在る、と。また顕正会員も仏法や日蓮大聖人の話をしてないときでも、全然酔ってると思う事がある。
・↑の「酔い」で全てを片付けて、終えるかと思いきや、しっかりAランクの魔障霊が数体、会話中後半に発生。ここで相手が感情的になったり焦ったりする、落ち着かなくなる可能性が増大。もちろんこちらも。しかし、基本仲が良い相手同士なのでスルーしたり話題変えたりと、慌ただしい雰囲気(魔障)はとりま無視。一時保留とする。ここで魔障慣れしていない顕正会員、例えば数か月~数年の人は、「だから、こうなんだって。」と、相手が顕正会の教え、日蓮大聖人の仏法を受け入れない姿勢キープであることにいら立ちを感じ始めたり、何か雰囲気をリセットしたくなったり足掻いたりしたくなるかもだが、それは(魔障霊に)耐えたりする必要無く、話をそこで終えてしまう一つの合図、みたいなものと捉えれば良し。つまり、相手の「酔い」の裏側で速度なり客観視点を欠いたノリ、脳への影響を与えている魔障が外へ出てきた、ということなんで相手のせいじゃないんだ。もちろん、出てきたからといって相手にはまだまだ魔障霊が付いてるのか沢山いるのか、別の視点を持てるようになってるわけでもない。
・折伏を終えた後、別れた後は相手側に長く付いていた魔障霊A-Sランク数体の存在が、明らかに目立つように感じられる。ここで全然頭や体を使ってないはずなのにどっと疲れたりするけど、実際その疲れは相手が頑固だったり、自分を疲れさせたというより、魔障霊で疲労させられている今、その現状があるというだけ。なので、顕正新聞を読んで南無妙法蓮華経、で何時ものように除霊。けっこう多い場合は一人の登壇者が語る最初から最後までの部分まで読み切る。或いは一行~5行と短めに、段落ごとでなくても切って、そこで肩とか脳、背中辺りをテキトーに指さして南無妙法蓮華経、と。
・折伏と言うよりは、ただ予想通りの会話をして、そこにイレギュラーないつもとは違う顕正会チャンネルを含ませたり混ぜたりして、そんでもって最後にAーSランクの魔障をもらっただけなのでは・・・・これでは損しただけみたいじゃん・・・・と二、三回、ちょいと思ったりしたけど、その後AーSランクの魔障霊を一体ずつ何時もの方法で掃除していくと、何か好奇心が湧いてくるというか、やる気、のようなものが発生。これは、物や人、趣味などが全く頭の中に予定としてイメージとして、主体的に存在していない状態で発生しているので「いつもとは違う」と判断。なのでここにもしっかり記しておく。何時もは例えSS級以上の魔障霊を数か月に一回、消してもこのような現象は起こったりはしなかった。ただホッとしただけ。ドラゴンボールの強い敵が去って「ほっ・・・」みたいな、それだけの気持ちw
・↑の特殊な感じは確かにあまり前例が無い。ちょっと会館に赴いた時の気分に似ている。とはいえあの時は一時的だった。二日も続かなかった。なので↑の特殊な感じも、また明日、来週、再来週には消えていて、先週のように戻ってるかもしれない。その場合、この記事は割と初期(折伏する前)の段階の認識へと戻るだろう。
っとこんな感じですね。最後の奇妙に明るい、好奇心発生のテンションは、今も継続中ですが、以前折伏を終えたばかりの方(実はその方は二年半前自分を折伏した方ですw)の奇妙なハイテンション、元気さに似てるなと、彼と今の自分を並べてそう思った。
ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』