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ネタを探して一人旅・・・(`・ω・´)

除霊するタイミング。

こんにちわ~。最近は全く除霊記事を書いてなかったんでーそろそろ書こうかなって思ってはいました。

まーこれまでの記事では、前提としての説明&会話の段階1-5を飛ばした『6段階目』、にあたる内容の除霊記事ばかりだったんで、

なかなか「対象化」と言われてもしっくりこないという読者の方が大半、だったことでしょう~。

で段階1-5の会話がどういうものかというと、

段階1「こんにちわ。今日は晴れていてとても気持ちが良いですね」「そのようですね。ではではー」

段階2「実は、私は顕正会員なんです。日々頑張っております。」「そうなのですか。頑張ってください」

段階3「顕正会員として日々勤行を、お経本を読むことと、それをしないこととでは、日常生活における大きな違い、現象等ありますか出てきますか?それは証明出来ますか。」「あります。」「そうなのですか。解りました。ご回答ありがとうございます。勤行毎日二回、しっかり続けていきたいと思います。」「頑張ってください。」

段階4「日々勤行を続けて仕事も毎日8時間しっかり働いて、頑張っているのですが、何か時折、惰性で全てが面倒くさくなること、変な雰囲気になることがあるんですよ。。何なんですかね?」「それは、魔障ですね。」「魔障とは、なんでしょう。」「魔障とは、仏道修行を邪魔しその人が成仏しないよう、幸福にならないよう妨害してくる悪い霊のことです。」「そうなのですか。それはどうやったら取り除くことが可能になりますか?」「恋慕渇仰の信心をもってして、日蓮大聖人様を想う心で、勤行を行う事ですね。」「恋慕渇仰の信心とはなんですか?私は日蓮大聖人が何をしたかは皆さんから聞いて知ってるのですが、どうすればその亡き故人に対する感情を、恋慕うという段階にまで引き上げることが出来るのでしょうか。」「そのやり方が解ったら苦労しないですね。私も未だ解っていないくらいですから。」「はあ・・・」

段階5「では、日蓮大聖人を恋慕渇仰の信心でもって求めながらの一日二回勤行、これを出来ない人は、一般の顕正会員でない人達と比較して明らかに『反仏法、反日蓮大聖人』ではなく、ただ道が分からないで日々頑張っている、という真ん中・・・中立のポジションになるかと思われますが、それでも魔障霊は毎日、或いは数週間に一回くらいの頻度で来て、雰囲気は悪くなったり気分を害したり面倒臭くなっちゃったりすること多々ありますよね。その場合どうすれば。」「恋慕渇仰の信心で(略)或いは、共学書を読んだり会館参詣、また浅井先生が登壇しておられる回の新聞を読むなど・・・」

 

↑この五段階目の会話、の続きが過去の自分がこのブログで書いてきた全ての除霊記事ですw先ず、段階2に至ることが自体が滅多に無い。顕正会員は折伏(勧誘)の際以外の機会に自ら顕正会員であることを公表するケースは皆無、に近いのでね。まあ広宣流布前後が近いこの数年間は割とネット上でまたはネット番組等で一時的に0%が1-3%くらいには浮上することも…ある、かな?段階3これもまた希少。顕正会員が顕正会員に質問、というケースですが『とにかくやる』『先ず実践すること』が強調される傾向強めの宗教なんで、比較などレア過ぎる。また日本人は他の国の先進国家の民族と同様に或いはそれ以上に、忍耐すること最優先!で比較を遠ざける性格が強いので、この顕正会という宗教においても、と。説明下手、聞き上手下手が多い民族というのもあるだろうし。段階4の会話は一応、顕正会員同士の先輩後輩の関係上、一度は、最低一度はサッとでもすることされることはあるんだろう。しかしそれ一度っきりで、後は『私が頑張るしかない』『私のせいなんだ』で、自分を具体的な内容を文章化できないまま責めたり、魔障と共に忍耐を続ける・・・という人が多いと思います。「あ~そのはず、、なんだよなぁ」と数か月前数年前の一度切り先輩に言われた一言を思い出しては、薄い意識の中数秒だけ思い起こす、程度の顕正会員の方もいるのではーと。段階5,これも超希少。先ず前半部分、ここをしっかり文章化し、先輩の顕正会員にぶつけるという可能性がゼロに等しい。例えあったとしても、後半のような答えられ方をされるので、解決じゃない。大体この会話段階4-5辺りで、『まいっか。』『俺の頑張りが足りてないから』『続けるだけだな。』と思考停止の成長しない自分、魔障霊に耐えて、日々慣れてしまっている自分に満足し切ってしまう。ここでの成長とは、自分にとって『魔障霊をマイナスする、取り除く、引き算する』ということを意味します。

 

さて、過去何度も取り扱ってきた除霊の方法に関する記事。

私個人がこの一年、数百体と魔障霊を退けてきた経験から言いますと、

『魔障霊対象化』+『南無妙法蓮華経』(←もちろん一日二回の勤行が大前提)これらを日常生活上で、行う場所、機会は何時なのか・・・というと、

 

1.お風呂(サッと入ってサッと上がる場合除く)

2.起床直後(雰囲気が昨日の晩と違ったり悪い夢見た感じが残ってる時とか。)

3.職場(慣れれば仕事中でも。)

4.音楽・読書など芸術に触れる前と後(曲・作品に関して拘りがある場合)

5.雰囲気があまり良くないな、と思った時

6.雰囲気を一定のゼロの状態に戻したい、固定したいと思った時

7.ボーっとしていて自我・個性が弱まっているな、と感じられた時(仕事上の肉体疲労やストレス要因は除く。栄養の偏りやPCやスマホに集中している時間が長すぎて脳疲労、映像やゲームなどにかけてる時間長くて疲れた、睡眠時間が足りていない、なども全て除く。)

8.職場での対人関係において一定の成果、雰囲気で終えたいと少し、思った時。

 

こんなところですね。5,6は他と被るので「何時でも何処でも」とイコールかなw

自分はたっぷり魔障霊の記事をこれまでに書いてきたのですが、一応一般人より雰囲気、魔障霊に対して敏感ではあるものの、素の部分・性格はシンプルなんで、そこまで神経質ではない。ただ顕正会員になる前から、雰囲気センサー魔障霊センサーが敏感だったんでね。場を荒らされる事が多かったり対人関係悪化要因となることが多かった故に、消去法で除霊を正義としているというだけのことです。

 

さて上記のタイミングを頻度で並べ替えますと、

2>3>1>7>6>4>5>8

こんな感じ。この2が何故一番上かというと、魔障霊が寝ている自分のところに毎日来る可能性が最も高い時間帯が、どうやらAM12:00-AM04:00、この辺りであるということらしい。まあ経験と推測からですが。明日明後日が休みの場合に夜中眼が冴えきっていて起きている場合でも、この時間帯に雰囲気が明らかに変わったりすることを感じることはよくある。部屋の壁を貫通して入って来てるみたいですねーwで、その場合私は無視して、数時間放置。で朝4時辺りの勤行で、顕正新聞とセットで纏めて除霊、と。顕正会員の先輩や幹部の方々が「安穏とするな」「何時でも魔障は来る」「惰性は魔障」と仰ってる根拠の一つが、おそらくこのAM12:00-AM04:00の時間帯での魔障霊到来にあるんでしょうな。ちなみに最大でSS級まで、かな。来るのは大体。SSS以上は先ず来ない。SSS級以上が来たら100%職場行くの嫌になる(何も力仕事とか対人関係悪化要因無いのに健康状態も万全なのにw)となるかな。まあ1年前の自分なら速攻鬱になってるでしょう。今なら数分もかからず撃退出来る。

3は・・・8時間労働がねーー岩盤規制なんですよ~。まあこれは長くなるんで端折るとして、週5勤務の1日8時間労働(+残業)これは言ってみれば、人生の1/3を職場にかけているようなもの。そこで魔障霊は自宅に来て自宅が悪い雰囲気になって、でも職場は何時も自宅と違って良い雰囲気~となるわけがないというwもーちろん職場にも魔障霊はついてくる発生するー。しかし最近思うようになったのは、自宅と違い顕正新聞を読める時間や環境がほぼゼロとて、そんなに職場環境も除霊に適していない環境とは思えなくなってきた。なんなら仕事中、超集中してる間でも南無妙法蓮華経を言葉に出して除霊作業を並行してやれるし、まあ人に聞かれない声でw

1は、肉体の感覚感触が敏感になり、つまり正直になる時間。もちろん霊感覚に関しても。ここで、自分とは真逆でどんなに霊感覚が鈍い人でも、「この雰囲気。」と、0.2秒くらいは考えることありません??で、「まいっか。」と思ってまた洗い始めたり、湯船に漬かりながら別の事を考えたり、またはお風呂から出るのを早めたり。実はこの時(入浴時)、魔障霊と共にいるかいないか、を明確に百かゼロか、で判別できる、し易い機会でもあったりする。「ん~この雰囲気は、嫌かなー」「これじゃ・・・ないなー」と、自分ならこういう感じで、何か落ち着かなかったりお風呂前にしていたことの印象、記憶を多少誤魔化されているように感じられたら、「ここだな」と適当に体の一部を指さして対象化、南無妙法蓮華経を連続して唱えると。ちなみに、お風呂で南無妙法蓮華経を唱えた時間が3-4分を超えた事は過去に無いですね。で、結構風呂場は除霊し易い。例え出来なかったとしても、風呂上りに顕正新聞を読めば確実、と。1は人によっては上の方に来るかなー慣れれば。

7は「ボーっとする」が無個性だったり自我の低下劣化に、いつの間にか繋がっていて、場の状況が謎の惰性によって流されている、という時です。ボーっとしたい、と故意に思ったり、元々天然な性格に近い人は除外です。悪意とか雰囲気の悪化とか、怒りや悲しみの感情で胸がいっぱいになるとか、そういうのではなく、ただ惰性のみ。体中が重い、しかしこの重いという言葉も少し表現が正しいものではない。実際身体には何も重いものを乗せているわけじゃないし、厚着してるわけでもなく空調状態も一定だ。この惰性と反対、相反するところにあるものを何故「個性」「感情」と定義するかというと、その時の魔障霊の目的がどうやら個性の低下、感情の低下にあるということらしい。なので「ボーっとする」状態が魔障霊によって引き起こされているのか、或いは魔障霊とかなーんにも関係なくて、ただ自己責任或いは周囲の何らかの環境要因によって引き起こされているかを真っ二つに分ける方法は、「よしっ頑張るぞぉ!」「今からこの時間、俺の好きな事だけをやってみる!!」と、空元気でもいいのでやる気になってみること。すると、そこに自分という責任、目標、感情だけがある(はず)なので、雰囲気が気持ちが、後天的に生じる惰性によって落ちるということはないはず。でその時魔障霊(いる場合)は態度、台詞で例えると「・・・・・・・・・・。」こんな感じで不自然に沈黙しているような姿勢キープで密着している状態なので、「そこから惰性が主体的に生じていて、自分が対象として毎秒それを受けている」と仮定して、肩や頭、背中辺りを指さして南無妙法蓮華経を唱える、と。もちろん、感情を出して空元気を演出する事より、南無妙法蓮華経を唱えること、顕正新聞を前もって読むことの方が雰囲気チェンジ、解決の為には早い。

6はまあ、時間に余裕がある時は、ですね。何時も職場でも自宅でも、何かしてる時が多いんで。しかし手が空く時はある。なのでその時間に、何も考える事とかなくて、疲れてもいない時に、気まぐれで「えー今の自分はーー。この雰囲気ならマイナス1くらい、かな。魔障霊だろうな」と思って南無妙法蓮華経を唱える時間に変える、と。まあ低頻度かなー最近では。

4もまあ無いか。魔障霊と共に芸術作品に触れることはイコール低評価補正、楽しめない補正に繋がる事確定で、SS級以上なら絶対に芸術作品に触れることを後回しにした方が良い。一作品、一曲に拘りのある方は、事前に除霊しておきましょうと。例えば2010年代2000年代90年代と、その時代ごとにノリとか雰囲気って全然違うんですよ。しかし魔障霊はそんなもの気にさえしていない。また、魔障霊セットで芸術鑑賞続けたとして、自分が少しその時代の感触、雰囲気、属性を感じられたとしても、後々直ぐに魔障霊が印象を薄めてくるので。

5は、これも最近は全く無い。1年前以前ならよーくありましたけどもw「雰囲気があまり良くないな」と思う事。それはイコール(魔障霊に)負けている、放置しているということなので。なんで最近の自分に限っては、そう少しでも思う事自体がSSS級以上の魔障霊を対象化出来ていない、ということ。

8は稀過ぎる。1年に1,2回はあるかもしれない。魔障霊はA級以上であれば半径4,5M以内にいる同僚、友人、家族等を不快にさせたり、感情変化を誘発させたりすることが容易なのですが、これも顕正会員となって数か月、以内の懸念事項かなと。軽く言ってますが事が起こった時は結構、厄介なケースも?wでもまあ、顕正新聞と南無妙法蓮華経を唱える事を脇に置いている時間が長くなければ、そんな悪影響で対人トラブルが発生・・!といったことも無いでしょう。

 

…とこんな感じで今回初めて除霊するタイミング、機会について語りました。本当はもっと早く語っても良かったんだけど・・・w随分後回しになっちゃっていたー。

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』