こんにちわ顕正会員です。
顕彰新聞(本媒体)を読む→霊(自分が作っていない、または後天的に表れた別の雰囲気※不健康要因除く)を対象化→南無妙法蓮華経
これが自分のこの2年間の一番の強みであり、自信をもって「なんかすげぇ現象」と言えるもの、だったのですが
『要は、自分でやっている、その頻度と覚悟を多く持っていれば、ゲームの主人公みたく(敵を倒し続けることによって)何時でも正常な状態(敵がいない状態)をキープ出来るんじゃね』と思ったんで、勤行を止めて(勤行止めてみた実験)
近づく魔障霊を次々に処理していけば勤行も不要なのでは・・・?と。
先ずこれまでの
>顕彰新聞(本媒体)を読む→霊(自分が作っていない、または後天的に表れた別の雰囲気※不健康要因除く)を対象化→南無妙法蓮華経
この100%成功率を誇るこの手段が、一日二回の勤行実践によって可能となっていたのか否か(仏界やら功徳、信心の積み重ね?等不可視の何かであったという仮定)、それを確かめたかった。という理由もあるんですが、無論他にも9つくらいあって。それは全部語ると長くなるんで今回省略。
結果・・・どうなったかと言いますと・・・
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・明らかに目立った気配を発しているS-SSS級クラスの魔障霊を何故か対象化出来なくなった(処理不可能、あるいは相当時間がかかるように→相当時間がかかるのであれば、ゲームやら食事、睡眠、仕事を優先するのでそちら除霊時間を後回しにする、諦めるという必然的な結果へ)
・当然、それら厄介な霊を抱え位置・存在を共有したまま外出、睡眠となるので、常時雰囲気が悪い、肩が重い・・・と。ああ、肩こりとか仕事とかPCによる疲れとかじゃありませーん。もしそうであるなら先週、先々週もこの同じ現象が既に起こっている。ちなみに前回、このような同じ現象を感じていたな~って思ってた時期ですが、2020年、頃かな。顕彰会員になる数か月前くらいかな。
・夢の内容もまた重く。好奇心は低下し(先週観た「勢いある」「面白い!」と感じてた面白い動画を3つ、連続で観てみたが何も感じないというか。まるで突発的な鬱状態に陥ったかのよう)、重めのキャラという感じに性格に補正がかかるw「自分じゃないんだけどなー」と、経験上人より慣れているのだが、覆せない!wこれも結構痛い。ええと、このブログを読んでいる人は誤解しがちですが、記事ごとに自分の雰囲気、異なってるってケースあります。即ち魔障霊がどれだけ付いているかの状態で全然属性・状態が違うんですよねー。毎回、同じ雰囲気、状態で書いてはいないです。(特に勤行止めてる時は何故か落ち気味w)
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さて、↑がビフォアーです。悩み、という程ではないですが耐え続け「それも自分だ」に近しい状態であったにも関わらず、「やっぱ一週間前の時の自分が良かったな」と思って「仕方ねえな」と、顕彰新聞+南無妙法蓮華経に限界がある事を悟りつつ会館勤行に向かうかと。
で、会館勤行に参加した後の↓がアフターです
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①肩の重い感じ、重い雰囲気が全く無くなった。会館を出た後、肩を上下に揺らしたり腕をかるーく回したりしてましたw(人の目一切気にせず)
②「自我」「我の強さ」が正常基準値まで復活。つまり、かなりやられていたということですなー
③やはりある。達成感と勝利感。しかし、悔しいと思う気持ちも小さいが存在している。何故ってこの3日間、俺は顕彰新聞+南無妙法蓮華経を、一体一体魔障霊を対象化して消してきた。その数およそ10体-15体。それなのに最後に残った、或いは合体していたS-SSS級数体を消せずじまいで負けていたのだから。
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と、こんな感じで会館勤行をやる前と後とでは、自分は全く別の感覚、存在という扱いですw
もはや一括除霊は会館勤行、という結果。無論、過去の自分とて諦めていたわけじゃない。己の選択、己の感情と意思による除霊を最後まで「出来る」と確信していたんだな・・・。
ああ、ちなみに今回魔障霊を沢山もらった(状態での三日間)のですが、その対象(要因)は先週木曜日に突然電話+ボイスメッセージを送って来た女性の方で、結果間違い電話だったのですが、この方がけっこう、落ち着きのない話し方をしていて、「はぁはぁ・・・」と息が荒い・・・というより、何か焦っていた?そんなのが当たり前の日常みたいな感じでした。向こうで子供が二人、騒ぐ声が聞こえてたんですが、こちらも抑制が利かないタイプで、一秒一秒をフルに使わないとしぬ、みたいなハイテンションでしたね。まさか間違い電話で魔障霊をたくさん受け取ることになるとは思わなかった・・・wもう今度から新規の方からの電話、ぜんぶ無視しようかーwこの時代、慎重過ぎる完璧すぎるに越したことは無いー。除霊も手間だし、せっかくの土日休みの属性・雰囲気が変わってしまうことにもなり得るからね。
それと会館勤行最中の感覚変化、についてですが冊子の15Pの辺りで「変わらないか・・・」という気持ちが何故か消える。19Pの辺りで「我」復活。基準値に戻る。21Pの辺りでようやく、これまで勤行中に何百回と高確率で表れていたオート雑念が生じる余地が出てくる。この時自分はオート雑念はむしろ何も気持ちが湧かないよりはマシ、と二回くらい言ってた何時もの顕彰会員の先輩の言葉を思い出し、「なるほど」と思う。24P辺りでは、復活した「自我」つまり自分らしさと、「オート雑念」を併せて好き勝手に妄想したり、好きな事考えたり出来る余裕が生まれたことに「ふう」と安堵感を覚えつつ、それでも「まだ残っている霊がいるのではないか」と少し慎重にはなる。結果、この時の会館勤行はこれまでの数十回の会館勤行で二番目くらいにあっという間に終えた感覚だった。一括除霊と、毎日会館勤行の「達成感」「勝利感」は全く違う。無論、毎日の方が積み重ね(+日常での顕彰新聞+南無妙法蓮華経による除霊成功率100%キープの条件)にはなっているので優先度は上になるということなのだろう。
ああ、この記事はこんだけ実体験の情報載せていても「まだ、この部分まだ足りていない。もっと詳しく」というところあると思います。短文に収めるために仕方なく、構成がそうなっていると。もちろん、この5倍くらい長文で詳細に、こまかーく書く・語ることも出来るんですがw
ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』