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ネタを探して一人旅・・・(`・ω・´)

『問題の一つを解決する』そういうスタンスで会館勤行に行った後、やはり解決しました。何時もの顕正会員の先輩にそれ報告した後、やはり否定されましたw

こんにちわ顕正会員です。

タイトルで終えてる記事なんですが、

広宣流布したあとは全ての日本人が顕正会員となり、南無妙法蓮華経を唱え日蓮大聖人様に救いを求め、そしてその後も日本人全員と多くの外国人が毎日二回勤行をするようになるわけですが、

おそらく広宣流布した後、

「どのような姿勢で」「どのような感覚で」「どのような気持ち・感情で」

「どうし続けたから」「どうなった」

このように方法論、過程と持続期間、結果というプロセスも、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツなど先進国の教育者、科学者が論文を出したり議論するまでもなく明確に認識・発表され、教育にも取り込まれ、その国の言語で『顕正会の正しい信心の進め方・取り組み方』「日蓮大聖人に生命力を頂ける勤行、というものをどう上手く効率的に行えるか」

という話が、ささっと行われるようになるかと思われます。

しかしこの方法論、何故かは知りませんが顕正会員Bの方々の中では御法度らしく、

他の邪教宗教(顕正会の中では他の全宗教は悪)では「何か続けてれば」「神様が答えてくれる場合もあれば逆にry」「みんなで笑って」みたく、幸福になるため、既存の問題を解決するため、の方法論、段階についての言及は無い(或いは祈りなど抽象的)に等しいのですが、顕正会邪教ではないので、更に広宣流布した後は全日本人、全外国人に知られることになるので、「方法論が曖昧(または感覚についての言及が憚られる)なままでいいのだ」で良いわけがないと思っているのですね私は。

つまり結論から言うと、全顕正会員A・Bの方々が仰ることは「日蓮大聖人が救って頂いた。それだけです。他にごちゃごちゃ考えたり試行錯誤する必要は一切無い」これに尽きる、と。

さて、タイトルの中身ですがこれは全て語ると

SSSS級魔障霊を伴った状態で日曜勤行に参加してみた - アニメでも政治でもネタなら何でも食べます。blog

↑と同じくらい長めになるんで超省略しますと、先ず自分は以前から「夢の内容の一部を書き換えられないかどうか」という悩みを抱えていた。夢をよく見るのですが、内容のヴァリエーションが非常に少なく、毎朝面白くない目覚め方をしていたのですねぇ。

悪夢、というほどじゃないんですが、それでも『昨日の夜はあのゲームをして、アニメを観て、あの音楽を聴いて寝たのに、何故?』と。まあ毎日じゃないんですがー

それで、『それはそれ(貴方の悩み)、これはこれ(日蓮大聖人様の仏法)』といった感じで、全顕正会員からは秒でスルーされそうだったので誰にも相談せず、会館勤行で『そのテーマと向かい合ってみるか』という姿勢で、先週臨ませて頂いた。

この話を顕正会員の方が聞いた場合『・・・。』となる方、『いいんじゃないですか。日蓮大聖人様が答えて頂ける』となる方、『それは良く無いよ。正しい信心・方法で行わないと。自分のやり方で試しちゃ駄目ですよ。それは曲がった方法です』となる方がいて、自分の隊の何時もの顕正会員の先輩は3つ目であるとw

自分が会館勤行25分の中で最初から最後まで姿勢一貫で、高度な『対象化』を行い(ここ説明すると20行くらいw)、その日以降夢の内容を見事改変することに成功したのですが(正確には属性や内容の引き算が成功した)、その結果を彼(何時もの顕正会員の先輩)に報告したのですが、秒で流した挙句、『もうそういう自分で色々やってみようとか、自己流とかやめてください(笑)。今は毎日会館勤行行けてるからいいけど来月は一か月行かないとかそうなっちゃう可能性だってあるでしょ?〇〇君の場合』

とw

で、それを聞いた自分は、「はいww」と答えつつ、頭の中では『ええ・・・・・・・・・・・。』とw そこで強調したり撤回を求めたりしても良いのですが、既に前例はあって、パターンに嵌るので「はいww」とw

ここでの感情はまあ、慣れてるんで速攻処理したのですが、やはり視点・感覚が違い過ぎるという事実を改めて認識させて頂いた。

例えば、↑の全文は自分を例にとったものなのですが、

顕正会で癌が治った、怪我が完治した、髪が生えた、家族の態度が良くなった、などそれらの現象もまた、勤行と日蓮大聖人様のお陰という事もあるのですが、その結果を齎すまでにその本人がどのような感情をどの程度傾けたのか、どれくらいの期間?どのような感覚で、視点でもって?これら情報も(日蓮大聖人様の仏法は)民主主義を超えている、というのであれば、民主主義のルールに則ってふつうに語られていいはずだ。

なのに

1過程(悪かった状況)、2結果(改善或いは問題が無くなった結果)。これに始終するだけだという点、納得がいかない・・・。顕正会員Cの方々の過程・解決するまでの道のりを語る場はなく、基本内向き。この偏狭性が本当に、全日本・全世界へと広がるのだろうか?

 

無論、顕正会のこういう不器用なところだけを批判して良いかというと、そうでもないかなと。例えば役所のそれぞれの課、それぞれの職場、また会社や学校など、日本の何処へ行ってもプロセスや感覚について如実に語る事が出来る、また聴いてくれる環境は確かに存在しない。自分は帰国子女だし90年代からむしろ聴く方話す方ですが。なので、一応顕正会のそういうところも、日本らしいと認識して肯定してやることもできる。例えば顕正会員も無宗教一般人も不器用な侍、みたいなもので、大雑把を美徳として数千年存続し続けてきた(技術芸術に優れている方も無論たくさんいますが他の一面は不器用だったり)、と。瞬時に切る事、処理することに特化している。例えば自分が政治家一人捕まえて政策や半年間の実績等問いただすより、問いたださない数万人の市民に拍手してもらう方が絶対に良いに決まってるわけですからね。

また、自分はEU属性なのですが、無駄に感覚やプロセスを語り尽くすことも、広宣流布前、つまり中国が日本侵攻を始める前はくどいというか、面倒だったりむしろ時間の無駄に繋がるという見方も。中国はあのようにシンプルに上か下か、同類とするか敵とするか、みたいなところもありますが、日本もその時が来れば、いや近づけば『〇か×かどちらかなんだ』と(中国とは立場は違えど)全てのジャンルにおいてそのように民主主義のコミュニケーションが狭まる(中国に似る)と考えれば、むしろプロセスや感覚(方法論)を省略するような、不器用で軽い方が正しい、となるか・・・とも思える。

 

ということで結論です。

>『問題の一つを解決する』そういうスタンスで会館勤行に行った後、やはり解決しました。

しかし、基本はごちゃごちゃ考えずに「幸せになるためのお薬を頂いている」「生命力を得られている」という受け身の姿勢で、と。

んん-でも

>『問題の一つを解決する』そういうスタンスで会館勤行に行った後、やはり解決しました。

これをやろうと思う前の日までは、毎日その状態(変わらない状況)・・・だったのですがねぇ。やっぱ「何を解決したいか」テーマ決めて臨んだ方が宜しいんじゃ・・・w

顕正会は基本的に不器用、これがふつうなのか、或いは修正すべき点なのか。昔の時代劇を思い起こせば不器用はふつうという事。ならばふつうじゃなくややっこしいのはむしろ自分。そして他国の議論を得意とする人たちも広宣流布前後という時代では日本の侍(顕正会の信心)より下・・・。んん~

 

ああ、方法論・感覚についての言及、ですが

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↑の記事みたく長々と語らなくとも、『感情トリガー』『書類の一番上から順に解決していく』『対象化』『問題提起』など、短めに現象の前後にあった仕組みや過程を数文字程度で表すこともできる。無論、それで伝わらないから結局長く説明しても良いよ、ということになるわけですがー

まあともかく、自分はおそらく顕正会員の中では専門用語を多用せず、様々な視点や感覚についてチャンネル持ってる方なので、内向き外向きその両方、なんですよね。

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』