こんにちわ顕正会員です。
基本的に、酔いや祭りの属性が強調される宗教、ですが自分は何時も何時も『感覚』『結果』を重視している。
はっきりこの3年間…魔障霊との戦いでしかなく、それ以外の悪いこと?とか何かあったっけ…と思い出すのに時間がかかるほど何も起きてない。
無論、対人関係(職場)で相手側が不機嫌になったり、この3年間で1-5回…はあったんですが、それも悪い想い出の内に入っていないといいますか、特にどうでもいいって感じですな。例えその当日、対人関係で嫌な思いした数時間後でさえも。
このタイトルの部分に関しては奇妙極まりないと自分でも思っていて。これは誰が読んでもそう思うでしょう。しかしこの感覚が一番しっくりくると思う。
顕正会員B,Aの方々がこのタイトルを見ると、『あったに決まっているでしょう。何故良い現象に対して確信を持てないのですか・・・』と、瞬時にそのような思考をお持ちになられるかもしれませんが、
どうやら
>⇒出来ているし出来ていない。
この出来ていないの部分、明らかに自己責任ではないっぽい。他者責任であると。
『責任転嫁するなーっ』と無宗教一般人も顕正会員も殆どの人が思われるでしょう。しかし自分にとっては、環境や魔障霊の存在そのものが既に調整不可能な不便な不確定要素、みたいなもので。ああ、早ければ今月引っ越します。
例えば何か手続きとか問題が浮上したとして、それを役所の役人に相談する。それは自己責任だけではどうしようもないことなんですな。役所の役人に相談しないとすれば?役所以外の何処に行けば宜しいのでしょう。友人や家族を頼れないとすれば。外でどこでも勝手に寝たり生活したりしていいわけでもないしー。
それと同じで、霊という存在もまた、自然災害みたいなもので。何時の間にか何処かから悪存在として生じていて、いつの間にかこちらに接近し、共存を勝手に決めてくる、と。
自分が魔障霊に関して本気で悩んだのは2012年(細かく見ると2000年も)が最初で、当時は顕正会という名前も知らなかった。2017-2020辺りも相当ひどかった。おっと過去を語ってしまいましたが、
>⇒出来ているし出来ていない。
これは要するに山谷、一進一退という言葉で言い表すことが出来る。勤行を一度やって良かった、3年やって良かった、がまた次があるので油断せずに…こんな言葉にならないような回答が何時も何処かから聞こえてるみたいな感じですか。
魔障霊をほとんど受け取らない環境に身を置きつつ、どれだけ平静に健康に毎日過ごせるのか・・・平成前半20年では出来て当たり前のことでしたが、それを叶える為、次の環境では絶対に(霊の介入しない、または低頻度の)安定した生活を手に入れてみせます。
ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』