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ネタを探して一人旅・・・(`・ω・´)

浅井昭衛先生が亡くなられた後に顕正会員の方々数名と接してみて分かったこと

どうも、顕正会員です。毎日勤行続けています。

 

今回の記事の内容は、

顕正会のトップ、浅井昭衛会長が亡くなられた件について - アニメでも政治でもネタなら何でも食べます。blog (hatenablog.com)

↑の記事の続き?そのまま語ってると言いますか、↑のタイミングで思っていた事+αってところですね。

 

さて、今まで亡くなられた漫画家、声優、俳優、特に日本人のみに焦点を当て、その彼らが亡くなられた後に続いたコンテンツ、また受け継がれた作品、子孫などを幾つか思い起こしてみると、面白い法則が見えてくる。

まぁ自分の観点ですが、

・やはり、この人は偉大だった。この作品は素晴らしかった、と思える結果が後に後天的に作品として、組織の体制として、個として表れることもあるが、逆もある(続ける必要なかったのでは、とか当時の活きが良かった頃の時代、その時が良かったってだけなんじゃ・・・とか)。

・亡くなられた当人の魅力、作品の魅力が表れる部分もあり、またその彼が亡くなられる前の数週間・数か月の問題点や限界点を、後に関わられるスタッフや子孫、組織の一員が何故かそっくりそのまま継承してしまうというケースも多々。

・亡くなられた方と周囲の方々は、無関係である一般人の大多数からは美談として、または「殆ど上手くいっていた」「これからも良いものを残し続けていくことだろう」と負の側面より正の側面のみが無根拠かつ楽観的に取り上げられ易い。

 

さて、顕正会広宣流布を成した後、殆どの外国の方々にも(ニュースやネット等で)知られることとなり、この世の全ての宗教を超えて唯一、正しい宗教であるとして認識され、広まるようになるわけですが(何故なら武力を使わず中国共産党を退け、また南無妙法蓮華経の功徳・仏力の正しさを証明する結果となるので)、

その顕正会員一人一人が、日本という一国の、小さな会社のブラック企業に所属し続けている頭の固い(無論職場で、日々成果は出している。)頑固オヤジ・・・程度の性格のままでは、外国の方々も、今無宗教一般人の立場である大多数の日本人も尊敬したり「顕正会員になろう」とはならない、なりにくいのではないかと。

なので、なるべく専門用語は抑えて、自分語りも抑えて、ゆっくりと落ち着いた会話が出来てこそ、ゼロ地点、基本だと思うのですが

幾人かの顕正会員とここ数日電話して解ったというか、一部予想が的中してしまったなって思ったことですが、

仏法の教えで頭がガチガチになってしまっていて、こちらが「本当に恋慕渇仰の信心を起こせているのか?感謝出来ているのかな?」と思えるような方々がよく。

浅井先生が亡くなられて更にガチガチになると。日本人男性の悪い側面が宗教特性と重なり更に強調されてしまうと(平成世代の顕正会員はまだ、頑固な一面薄いですが)。それはいかがなものかなってね。

顕正会は、他のすべての邪教と異なり真に正しい宗教なので、

仏法の教えと浅井先生への想いだけで頭ガチガチになってるというだけでなく、

何時も晴れやかで、子供に対して外国人に対して優しく接することが出来る余裕を持ち、軽やかであってもらいたいところですなー。(例えば↑を読んで「ふんっ」とか「何言ってんだ。」みたいな気持ちが湧くようなら他の邪教と同程度、なのでは??)

無論、その軽やかさ、晴れやかで余裕がある背景には、しっかり勤行二回一日に実践、魔障に負けず自我を健康的に保ち、という証明があると。

 

長くなりましたが、良い所しかなかった浅井昭衛先生が亡くなられて

組織の縦の関係の男らしさ、頑固さだけが信者一人一人に(何故かは解らないが)象徴的に表れる、のではなくむしろ軽く元気で、堂々とした一人一人であってもらいたいなってー思いましたね~。

 

えーと海外ではディスカッション、議論が当たり前の国とかあって、自分はまぁそこで生まれた帰国子女なんですが、広宣流布したあとはキリスト教イスラム教に所属している大多数の外国人がそれら邪教を脱退するじゃないですか。そのあと顕正会員になられる、と。そこで「凡夫の我々が幾らごちゃごちゃ語っても無駄。ただ恋慕渇仰の信心で南無妙法蓮華経唱えてりゃいいの。」という説明で、何時もディスカッションされてる元邪教所属だった外国人が受け入れられますでしょうかね。もっと長く、ゆーーーっくりと数十分はかけてその人に解りやすく、一人語りではなく相手と対等の立場で、5:5-3:7(こちらは最大でも7)くらいキープで説明してあげられるべきかなって(過去の自分の記事は長ったらしくて会話にするとアウトですがねwああ、自分は現実では殆ど聞き役ですよ。熱く長く何かを語った事が子供の頃から滅多に無い。このブログと真逆でね)。

破折、は間違った生き方、間違った邪法・邪教を正しく諫めるため。それ以外の会話、日常のふつうの一対一の対話では強気の破折スタイル、自分語りなんて殆どメリット・意味があるとは思えないんですが・・・。

 

「自分が絶対に正しいに決まっている!だから語らせてくれ。」ではなく、「日蓮大聖人様と浅井昭衛先生が絶対に正しく、私はまだまだ未熟であるのだ」ということをお忘れなく・・・!!謙虚さ、そして破折の意味を誤解しないように。

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』