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ネタを探して一人旅・・・(`・ω・´)

日曜勤行とやらに参加してみた。

どうも顕正会員です。

富士大石寺顕正会会館から僅か二分の所に引っ越してきたのですが、それでも「面倒だな」と思って通わなかったんですが、昨日何時もの顕正会の先輩と電話したのがちょうど土曜日というタイミングだったんで、彼から「明日もしよかったら」と勧められて行くことに。

 

結論、ですが脳内がすっきり。こんな感じです。先ず、行く前の自分と行った後の自分は脳内、つまり精神的健康状態が全く違う。

行く前の自分の思考、気分の良し悪し状態も無論まだ記憶に新しいので記しておこうかなと。

 

先ず会館集まっていた人数はおよそ80ー100名くらい。自分は真ん中辺りに座していたのですが後ろの方は部屋に入れず部屋の外で正座して参加してました。

始まった時、脳内でまた恒例の雑念やら湧いてきたのですが、実はこの雑念、この半年くらいあまり、湧いてきていなかった。なんで「雑念が湧く方がまだマシなのかな?」と考えた。①雑念なし+20分の勤行が意外と長くない②雑念あり+20分の勤行が意外と長くない③雑念なし+20分の勤行が長く感じる④雑念あり+20分の勤行が長く感じる

、と4パターンあるとすれば、たぶん①が一番良いかと思っていたのですが、どうやらそうではないらしい。②が①を上回るというケースも。そもそも雑念に関しては自分でスイッチONにしてないんですよね。前も一度これについて言及してますが、「ああ、マジ暇だわだりぃ・・・そうだ、何か面白い事でも考えよう!」と思ったとか、無意識に「あー面白いこと考えてぇ」が0.1秒以内に思考の中で発動し、それを映像や情報として脳内で、というこれが自分には無かった。特にこの半年間はほぼなくて。それが会館勤行に参加した3/31の朝に久しぶりに発動した。これは岐阜県の会館勤行でも全く同じ事例が生じてたので、「むしろオート雑念は自身に全く責任無し」と。無論、雑念が生じざるを得なくなった結果の遠因、には自分の過去の何らかの行い、他者の影響等絡んでくるでしょうが。

さてー、勤行中は雑念4割程度。そこで色々不満やら検証の必要性、自我の明確化、他者と自身の違い、など色々感覚やチャンネルを出したり引っ込めたり、というのをやったり、また大部分無思考であろうと努めたりしていました。

勤行終了後、浅井先生の過去の動画が流れて、色々日蓮大聖人についての素晴らしさなどなど。

この時自分の思考は「専門用語が主語に来て専門用語が述語にくる。わからない、やはり解らない・・・」と。しかしここで「勤行前と変わっていないのではないか・・・」という感覚、気持ち、疑心が何故かほとんどなくなっていることに気付く。これは勤行中真ん中辺りまで来たときに「あれ?2割くらい減少している。まさか不満とか自分の暗さとか、そういうのも魔障霊だったというのか。なら何故昨日までの勤行でそれらは消えなかった?」と5秒くらい考えてはいた。

亡き浅井先生動画の後半は確か「日蓮大聖人様への感激を語り合って欲しい」という内容で終えました。

この時の自分は「感激・・・?」と。感激は笑いということなのだろうかと一瞬頭で考える、つまりポジティブシンキングで政治や祭りごとに参加している感覚、ネットではニコ動とか?その感じが俺には足りていないのか・・・と。しかしそうではなかった。どうやらこの勤行中にマイナス思考みたいなものは全て消え去っていたので、要するに「これも引き算なのだな」と(気分が軽くなった事自体が「感激」)。

はい、今回の会館勤行で得た最も確かな事実は、「これも引き算なのだな」ですw憑き物が落ちたってやつかな。

さて、昨日電話した際に何時もの顕正会員の先輩に対し自分はこう質問した。

「日曜勤行、そんなに功徳大きいんですが。それなら①顕正会員ではない一般の方が土日に遊んだり疲れを取ったりして、もちろん勤行などやらない②顕正会員ですが会館が遠かったり、面倒だったりお金の問題で土日も家で、いつも通りの感覚で朝夕の勤行を行う③顕正会員で会館にはたまにいくのですが日曜勤行には参加せず、日曜勤行の時間外に行って何時も通り済ませてる④日曜日には朝必ず会館勤行に参加している、この4タイプあるとするじゃないですか。この内、④>③>②>①みたいに、その次の月曜日から、一週間の内に表れる功徳とか、運とかそれは大きくなるということで良いんですね?」

「はい。そう思って参加してもらってもいいですよ。」

と。この話は長すぎるので省略しますがw

まあそんな感じで、行く前より明らかに、行った後の俺の方が調子良い、と。だって自転車乗って会館向かったのですが、行きの自分と帰りの自分もはや別人ですよwああ、この記事は勧誘記事ではなく事実書いているだけっすね。

さてしかし、この状態が何時まで続くかな?実験だっ。今日以降の自分自身に注視せよ。今日朝会館に行く前の状態の俺に戻るのか、それともこのまま調子の良い状態が続くのか。数字で確認させて頂く!!

 

えーと何時か何時もの顕正会員の先輩に「取引信心が強い」と言われた件についてですが、誤解が解けました。というか、彼は全く気にしていませんでしたねw

自分が思うに真の取引信心とは、参加前参加中、参加後もいつも結果や利益を数値化したり疑ってかかるタイプの人のことで、一見、自分はこちらのタイプに近しいように捉えられないこともないですが、実は遊びの感覚なんですよ~。『絶対に疑ってかかるからな。』『俺は信じない』こういうタイプじゃなくて、遊びで研究、検証しているに過ぎない。

例えば顕正会からしてみれば1/1の元旦の初詣は悪い事、なのですが

もしあれに自分が参加する場合、そんなそこら辺の人達と変わりない態度です。全然取引信心じゃない。でも参加前の「もしかしたら行った方が良いかも」「幸せになれるかも」「お賽銭すると一年間何かに守られるかもー」という思考、これ刹那的ですが取引信心ですよね?つまりド天然の性格の人を除き、全ての人間は取引信心がある、と。宗教や祭りごとを除けば、お菓子は甘いから食べる、あれは美味しいから食べる、面白そうだからあの作品を観る、プレイする、これらも全部初期取引信心、ですwそれを電話で全て伝えて誤解を解いたんですな。つまり初期の取引信心、中期の取引信心、長期の取引信心、とあって、中期長期の方はもうマジで自分や誰かを被験体として数字を出してもらうしかない、と。でないとただの頑固者だったり、不満多めの方であると。

 

ちなみに会館勤行中、自分は考えすぎ、考えなさすぎの比率はどうだったかというと4:6。他の方はたぶん,1:9前後の方が多かったのでは。この考えてる時は、「何を対象化しようか」「今自分が見据えるべき事は何か」「今どういう姿勢であるべきか」「何処までが自己責任でどこまでが他者(魔障霊)責任なのか」といったことを、2秒くらい考えて、脳内除霊の可能性というのを伺ってましたね。あとは、横隣の方々と全く同じ姿勢でやってましたよ。たぶん、おそらく、疑心とかストレスがある人はそれを悪意とて脳内で(会館勤行中に他の人には悟られない範囲で)開放した方が良い。日本人は我慢好きですからねー。それをやった方が、何故かは解らないが中盤後半で何時の間にか(疑心とかストレスが)リセットされる(むしろ書類の一番上の中身を具体的に表面化させて良かった~と思う)ようになっていると・・・。マジどういう仕組みだ。

 

ではでは~(-人-)『南無妙法蓮華経・・・!!』